くろログ

海外ドラマや映画、旅行の感想・記録など気の向くままに書いてます。

【映画】『プーと大人になった僕』感想・評価(ネタバレあり)

誰もが知ってるプーさん。

そのプーさんの親友のクリストファー・ロビンが大人になってからの再開を描くお話。

初日に見てきました。

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あらすじ

大人になったクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は愛する妻と娘とともにロンドンに暮らし、忙しい日々を過ごしていた。ある日、重要な仕事を任され、公園のベンチで頭を抱えていると、かつての大親友であるプーが現れる。

出典元:MovieWalker

感想

オープニング、これぞプーさん

オープニングが素晴らしい。

クリストファー・ロビンはプーたちと別れ寄宿舎に入る。

成長し、のちに妻となるイヴリンとの出会いや、出征のため汽車に乗り込むシーン。

娘であるマデリンが生まれ、クリストファー・ロビンが戦地から帰ってくるシーン。

これを絵本っぽさと実写を織り交ぜて見せる。

1本の短編映画のよう。

絵本っぽい部分は昔見たプーさんを思い出させるものであり、実写部分はクリストファー・ロビンの成長を端的に描いている。

そこまでプーさんに思い入れがあるわけでもないが、このオープニングに懐かしさも新しさも感じられ、このあとのストーリーにも期待が膨らみます。

 

大人になって忘れてしまった大切なもの

こどものころは100歳になってもプーのことを忘れないと言っていたクリストファー・ロビンも、大人になったらプーのことなどすっかり忘れてしまっています。

「夢はただでは手に入らない、がんばらないと」

「大人としての責任がある」

「何もないところからは何も生まれない」

こう言い、毎日家族より仕事を優先するクリストファー・ロビン。

 

妻イヴリンは仕事一辺倒の夫になかばあきらめ気味。

娘マデリンはお父さんに構ってほしい、もっといっしょにいたい、と思っているものの言い出せない。

 

でも、クリストファー・ロビンも家族のことを考えてない訳じゃないんです。

家族のことを考えているからこそ、仕事で頑張ってる。

娘の将来のことを考え、娘にも自分と同じように寄宿舎に入れて生活させようとする。

家族とのすれ違いですね。

特に、こどもだからこそ今を大切にしたいマデリンと、将来のために今を犠牲にしようとする大人のクリストファー・ロビンはすれ違っています。

マデリンが寝る前に読んでほしい本にも気づきませんし、週末の実家へ向かう際、車に乗ったマデリンは手を振り返してくれません。

もちろんクリストファー・ロビンもこれでいいと思ってはいないはず。

これでいいのか?と、迷っています。

 

でもプーたちとの再会で変化があります。

「自分は変わってしまった」というクリストファー・ロビンに、プーは「変わってないよ」と言います。 

ロビンが「迷子なんだ」と言うと、プーは「でもぼくが見つけた」と。

この瞬間、昔の関係に戻ります。

ずーっと自分を待っていてくれた、昔からまったく変わらないプー。

大人になって忘れてしまっていたけど、クリストファー・ロビンもこどものころは「何もしないことが好き」だったことを思い出したはず。

 

そして、マデリンのことについても考えたはずです。

自分が行きたかった訳でもない寄宿舎にマデリンを行かせることが本当に幸せなのか?

本当にそれが家族のためなのか?

クリストファー・ロビンはプーと再会したことで、自分と家族のあり方を考えることができました。

 

現実においても、日々の仕事や生活に追われて、日常がないがしろになってしまうことはありますよね。

将来のことはもちろん考えないといけないことではあるんですが、将来のことばかり考えていたら、今を大切にすることはいつまでたってもできません。

どうすればいいのか、この映画のなかで答えを提示してくれるわけではありません。

でもちょっと立ち止まって、自分のこと・家族のことを考えてみる時間を作ってみようと思わせてくれますね。

 

中盤中だるみ?

とはいえ「本当に大切なものは何か?」と問われれば、「家族」という答えは定石。

予想できてしまう結末に向かうストーリーなのであれば、もう少し中盤の展開を盛り上げてほしいと感じる。

100エーカーの森で繰り広げられるストーリーも、ロンドンでのドタバタも、なんとなくもの足りない。

 

こう思ってしまうのは、わたしが大人になって忘れてしまったものがあるからなのだろうか?

それとも大人になって心が死んでしまったのだろうか?

(「大人になると、心が死ぬのよ」が聞きたければ『Breakfast Club』をどうぞ)

by カエレバ

 

おわりに

日本語吹き替え版で見たんですが、ティガーの声の玄田哲章、サイコーです。

歌も懐かしいし。

ウサギのラビットは、アニメ版とちょっと違いすぎるような気もするけど。。

もっと黄色くて頑固なイメージだったんだけどな。

見ててこんなのいたっけ?という感じでちょっと違和感。

 

hulu

【映画】『MEG ザ・モンスター』感想・評価(ネタバレあり)

ステイサム VS メガロドン。

見る前からなんとなく結末はわかりそうですが、どうなんでしょ。

初日に見てました。

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あらすじ

人類未踏の地とされるマリワナ海溝を超える深海が発見された。沖合に海洋研究所を構えた探査チームが、最新の潜水艇で早速調査に乗り出す。生物がほぼ存在しない冷たい深海を超えると、そこには温かな海域が存在し、幻想的な未知の生物世界が広がっていた。世紀の発見に心躍らせる研究チーム。だが、巨大な“何か”に襲われ、身動きが取れなくなってしまう。救助に向かったのは、深海レスキューのプロ、ジョナス・テイラー(ジェイソン・ステイサム)。ところが、彼の目に飛び込んできたのは、200万年前に絶滅したと思われていた巨大ザメ“メガロドン”だった……。

出典元:MovieWalker

感想

メガロドン、デカい!

最初の方は、あまり姿見せないMEG。

水温躍層のさらに下の未知の海溝を探査中にMEGに襲われてます。

深海探査船は壊されてしまい、ほうほうの体で逃げるしかない状況を見て、

25メートルのサメってどんな奴なんだよ!、と期待がつのります。

 

スーインの娘メイインちゃんが一人で海洋研究所で遊んでいるときにはじめて姿を見せます。

研究所のガラスに噛みつくシーンは圧巻!

デカっ!デカすぎっ!

しかもくじらを一噛みで瞬殺。もはや太刀打ちできないでしょ。。

 

と思いきや、MEGに船が3隻やられちゃった場所でステイサムさん泳いでGPS付きの銛を刺しに行きますよ。

うん、ありえない(笑)。大した装備もなく泳いで行ってるし。どんだけ無謀なんだ。

もうギャグとしか言いようがない。

でも結局GPS付けちゃうし(笑)

スーインがシャークケージ(水中の檻みたいなの)に入って、毒塗った銛で目を刺す作戦に出ます。

ガンガン体当たりされながらも目を銛で刺すんですが、スーインの酸素ボンベが破損して空気が漏れ始めちゃいます。

でもジョナス(=ステイサム)すかさず飛び込んで助けに行きます。

でも持って行ったのはシュノーケルだけ(笑)。

しかもシャークケージがつながってるロープを伝って助けに行くって。。

ノープランかい。男らしいのか命知らずなのかわからん。いや両方か。

スーイン助けたけど、もう食べられる寸前、、って時に銛の毒が回って捕まえちゃう(笑笑)

 

で、捕まえたやつで写真撮ったりして遊んでたら、もう1匹さらにデカいのがくるんですよね。

海に落ちた人間ごと、海からジャンプして捕まえたサメにかじりついてました。

ここはかなり迫力ありましたね。

 

デカさに慣れる

MEGちゃん、その後ビーチを襲うんですが、なんか小さくなってない?

見慣れたのかな?

最初に姿を現した時はあんなにデカかったのに、なんかフツーですよね。

このブログの上の方のチラシの画像もMEGの口、超デカいですよ。

でもビーチ襲う時フツーのサメにしか見えない。。

倒し方もフツーだし。ちょっとがっかり。

 

キャスト

主演はジェイソン・ステイサム。

御年51歳でこの筋肉はすごいの一言。

こんな51歳ほかにいないです。

映画の中でも風呂上がりで上半身裸のステイサムさんにリー・ビンビンさんがビンビン来ちゃうシーンがあるんですよ。

見てるこっちもビンビン来ちゃうくらい筋肉が魅力的すぎる。

胸筋も大きいし、腹筋もバッキバキですよ。

 

マシ・オカもでてますね。

深海探査船が動かなくなって、ほかの乗組員は海底で何とかしようとしてるんですが、

マシ・オカさん、遺書かいちゃってます。

いや遺書なんか書いたら、死ぬでしょ。ダメだよ。

って案の定すぐ死んじゃうし。

 

おわりに

サメの映画って、「結局は人間が勝つんだろうな」と予想できてしまうので、

そこまでの過程を楽しむものかなぁと思います。

200万年前に絶滅したはずの超巨大なメガロドンが生きてた!っていう発想は良かったと思うんですが、内容は特に目新しい感じではなかったですね。うーん残念。

 

ちなみにMEGちゃんが襲うビーチは三亜湾でした。

以外と陸地に近いところまで来てますね。ベトナムもすぐそこです。

 ってかあのビーチのシーンもちょっと不自然でしたよね。

人が1か所に固まってるし、みんな浮き輪もって浮いてたし。

 

 

サメものがお好きなら、Huluでも見られます。

【映画】『アントマン&ワスプ』感想(ネタバレあり)

アントマンの2作目です。

「アントマン」ってマーベルのほかのヒーローと比べて戦闘もコミカルだし、面白いですよね。

1作目はアリも大活躍してましたが、今回はどうなんでしょう?

というわけで、続編も見てみます。

 

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あらすじ

頼りなさすぎるヒーロー、アントマン(ポール・ラッド)と完璧すぎるヒロイン、ワスプ(エヴァンジェリン・リリー)。2人の前に、すべてをすり抜ける神出鬼没の謎の美女ゴースト(ハンナ・ジョン・カメン)が現れる。ゴーストが狙うのは、アントマン誕生の鍵を握る研究所。敵の手に渡れば、世界中であらゆるもののサイズが自在に操られてしまう。さらに、金目当ての武器ディーラーからの襲撃や、アントマンを監視するFBIの追跡も加わり、人や車、ビルなど全てのサイズが変幻自在に変わる“何でもアリ”の大騒動に!ユニークなパワーと微妙なチームワークで、アントマンとワスプは世界を脅かす“秘密”を守り切れるのか……?

出典元:MovieWalker

感想

母を探す物語

今回の物語は、初代アントマンであるハンク・ピムの妻であり、過去にソ連の核ミサイルをとめるために限界まで収縮したため、量子世界に消えてしまったジャネットを探すストーリーです。

前作で2代目アントマンであるスコットが、不可能と考えられていた量子世界からの帰還を果たしたことで、ジャネットも戻ってこられる可能性があることが分かり、ハンクと娘のホープはその研究を続けていました。

前作の内容からすると、なんとなくホープのお母さんであるジャネットを探す話になりそうな予感はしてましたよね。

戦闘シーン

前作では、機関車トーマスのおもちゃの上で戦ったり、縮んだり戻ったりを繰り返して戦ったりするのが、今までにない戦闘シーンで面白かったです。

今作でもそのユニークな戦い方は健在です。

今回の戦いは、物体をすり抜けることのできるゴーストが相手です。

縮んだり元の大きさに戻ったり、はたまた大きくなったりできるアントマンと、

羽が生えたスーツを着ているので飛ぶことのできるワスプも加えて、戦いが行われます。

ワスプ、カッコいいんですよね。

羽を自由に扱って飛び回って攻撃したり、ものを投げて巨大化して攻撃したりして。

もちろん小さくなることもできるので、飛ぶ&縮小+等身大化の組み合わせで繰り出すダイナミックな攻撃が魅力的ですね。

アントマンの方は、調整器の不調で、縮小化や巨大化がコントロールできない場面もあり、それが笑いを誘います。

カーチェイスの場面で大きくなったまま戻れなくなった時は、トラックをキックスケーター的に使いながら追いかけたりしてますね。 

また、アリも活躍しますよ。

ミントの箱に入っててスコットたちのピンチを救ったり、量子トンネル作ったりもしてます。

フェリーで追いかけるシーンでは何匹かカモメに食べられちゃいましたけどね。。

敵方のゴーストはというと、物体をすり抜けたり、見えなくなったりできるので、アントマンたちと互角にぶつかり合います。

急に出てきて攻撃されたりするので、ゴーストの方も迫力ありますね。

 

アントマン、普段はお父さん

スコットはアントマンじゃないときはお父さんを一生懸命やってるんですよね。

離婚した元妻のとこで普段は暮らしているので、週に1回くらいしか会えません。

なので、会える時は全力で遊んであげてます。

泥棒ごっこを一緒にしたり、手品を見せたり。

会えない時の努力がすごいですよね、手品を練習したり、ドラムやったり。

あと、お風呂で「きっと星のせいじゃない」読んで泣いてたり。。(なんで??)

娘のキャシーもパパが大好きなんですよね。

「パパにはパートナーが必要だよ」と言って、スコットがパートナー=ホープのことと想定して答えた時には、「パートナーは私」とちょっとすねるんですよねー。

しかもその話をホープに伝えちゃうし。

こういう関係、ちょっといいですよね。

 

ちなみにスコット役は、ポール・ラッドです。

「クルーレス」でアリシア・シルバーストーンが惚れちゃう義兄役で注目されて、コメディに多く出演してますね。

どちらかというといいとこのおぼっちゃん役とかボンクラっぽい役が多かったので、アントマンでの空気読めない感じが合っているようにも思います。

 

娘役はアビー・ライダー・フォートソンちゃん。

前作では前歯が抜けててかわいかったですね。

今作では前歯はもちろん生えてましたが、ませた感じは相変わらずキュートでした。

おわりに

量子トンネルとか量子もつれとか分子の不均衡とか、なんのこっちゃというような難しい単語も出てきますが、戦闘シーン見てるだけでも楽しいです。

(そういえ、ば量子世界ではクマムシに食べられそうになってました。)

また、ものを小さくしたり大きくしたりできるのが便利ですね。

ラボや車を小さくして持ち運べるようにしたのは画期的ですよね。

(HUNTER×HUNTERの淫獣の梟のファンファンクロスに似てますね。ちょっと違うか)

 

今作ではサンフランシスコの坂を舞台にカーチェイスもありましたね。

全然関係ないけどサンフランシスコでのカーチェイスと言えば「ザ・ロック」。

by カエレバ

ロンバード・ストリートも映ってましたね。(曲がりくねった坂道)

ここ↓

あ、おなじみのスタン・リーも出てましたね。

【映画】『SUNNY 強い気持ち・強い愛』感想・評価(ネタバレあり)

90年代後半に高校生だった私にとって時代的にまさにドンピシャ。

予告で流れる安室奈美恵「SWEET 19 BLUES」のイントロがすでにヤバい。

懐かしすぎる。。

「SWEET 19 BLUES」のアルバムも買ったなぁ、たしかジャケットが4種類あったんだよね。

見る前から期待感ハンパないですが、どうなんでしょ。

公開初日に見てみました。

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あらすじ

90年代に青春時代を過ごした6人の女子高生グループ“サニー”。20年以上の時を経て、大人になった彼女たちだったが、それぞれに問題を抱えていた。その1人、専業主婦の奈美はある日、当時の仲間だった芹香と再会する。ところが、芹香は末期がんに冒されていた。“死ぬ前にもう一度だけ、みんなに会いたい”。芹香の願いを叶えようと決意する奈美。これをきっかけに、止まっていたそれぞれの時間が再び動き始める……。

出典元:MovieWalker

感想

高校生のころの夢と現実

高校生のころのSUNNYのメンバーたちは、一人ひとり未来の自分に向かってメッセージをビデオに撮ります。
芹香は、未来の自分は結婚はしてないだろうけど、自分で会社を立ち上げて仕事をバリバリこなしてるはず、と予想します。

梅はイケメン彼氏とラブラブでいる、裕子はお金持ちと結婚して豪勢な暮らしをしている、心は美容師として独立して子供もいる、などそれぞれ未来の自分を予想しメッセージを録画します。

でもこのときの未来予想が当たっているのは、芹香だけ。

「何でもできる気がする」とビデオに語った奈美も、何不自由なく専業主婦として生活しているけど、そんな日々に物足りさも感じている。

梅の旦那はパチンコ三昧で、梅がブラック企業でパワハラを受けながら稼いできたお金もすぐに使ってしまうような男。

裕子は豪勢な暮らしをしているものの旦那は女子高生と浮気中。

心は一時期は美容師として店をもったもののつぶれてしまい、今は借金もありスナックの雇われ店長として働いている状態。こどもも実家に預けて離ればなれ。

現実は残酷ですね。

芹香以外、あのころの夢や希望は叶わなかった。

その芹香も末期ガンで余命1か月。

みんな問題を抱えてる。

「こんなはずじゃなかったのに」って梅のセリフ、きっと梅以外もそう思っていた。

でも、そのセリフへの芹香の返答が「それはだめ。私の分まで楽しんで生きて」というもの。

映画の中で「あのころ何であんなに笑ってたんだろう」というセリフが何回も出てくるけど、その答えは”楽しんで生きてた”から、に他ならない。

SUNNYのメンバーも芹香に触発されて、楽しんで生きる、を実践してますね。

奈美は娘の制服を着て「Don't wanna cry」を歌いながら踊ってみたり、芹香・奈美・梅・裕子の4人で裕子の浮気している旦那に復讐してみたり。

だんだんと一緒に笑っているシーンが多くなってきます。

お葬式の場でも芹香の遺言で笑いながらダンスしてますね、高校生のころ踊ることができなかった「強い気持ち・強い愛」を。

大人になれば誰しも問題は抱えるけど、人生を楽しんで笑って生きていこう、自分の人生の主役でいよう、っていう前向きな気持ちにさせてくれますね。

2.奈美の恋

奈美の渉への恋が描かれてます。

梅の家であったときからひかれてた奈美は、不良に絡まれているのを助けてもらってからはいよいよ恋に落ちちゃいました。

でも、渉に誘われたイベントでの奈々とのキスを偶然見てしまい、失恋したことが分かったんですよね。

奈美にとっては結婚したあとも、渉への恋は高校生のころからずっと引きずってきたものなんです。

忘れられなかった。

だからこそ、興信所で所在を調べてもらい、渉を訪ねるんです。

そこで、誘われたイベントのチラシと奈美が撮った渉の写真を手渡し「さよなら」って一言。

奈美はこうすることで、告白もできずに終わってしまった渉への恋に区切りをつけたんですね。

このシーン、泣けます。ホントに。

昔の恋ってどうしてこんなに切ないんだろう。

この後、失恋した高校生の奈美を大人になった奈美が抱きしめるんですよね、「終わったよ」って。

ヤバい、泣きましたね。

3.音楽や小物

懐かしい。

音楽としては1996年くらいの曲が多かったですね。小室ファミリー全盛期。

安室奈美恵、trf、hitomi、華原朋美、globeとか聞きまくってたなぁ。

あの頃が一番音楽聞いてたかも。

globeは映画の中でも看板が出てきましたね。

EAST END×YURIの看板もありました。

SDHのカバンも出てきてたし。

三浦春馬の髪形もロンバケのキムタクっぽくて懐かしいなー。

あんな髪形の男がわんさかいましたね。

3.おわりに

映画としては、「笑って生きていこう」っていう前向きなメッセージが込められてるんですが、個人的には当時が懐かしすぎてセンチメンタルジャーニーに旅立ち寸前といった感じです。

でもそれが不思議と心地いいんですよね。

悲しい時に悲しい曲を聴く、みたいな感じで。

久しぶりに映画館で泣きました、こっそり(周り女性ばっかりだったし)。

あーもう1回見ようかなー。

【映画】『検察側の罪人』感想・評価(ネタバレあり)

雫井脩介の小説が原作です。

小説としては「火の粉」「犯人に告ぐ」あたりは読んでますが、「検察側の罪人」は未読です。映像化されたものはどれも見ていません。

わたくしキムタクがちょっと苦手なんですが、はてさてどうなんでしょう?

初日に見てみました。

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あらすじ

都内で発生した殺人事件を担当することになった東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)と駆け出しの検事・沖野(二宮和也)。最上は複数いる容疑者の中から、すでに時効を迎えた未解決殺人事件の最重要容疑者であった松倉という男に狙いを定め、執拗に追い詰める。最上を師と仰ぐ沖野は、自白を引き出そうと取り調べに力を入れるが、松倉は犯行を否認し続けるばかり。やがて沖野は、最上は松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではと疑問を抱くように。二人の検事は、事件の審理を巡り互いの正義を賭けて対立する。

引用元:MovieWalker

感想

正義とは何なのか

木村拓哉演じる最上と二宮和也演じる沖野、このふたりが自らの信じる正義をぶつけ合い真っ向から対立するのが見ものです。

裕福な老夫婦が殺害される事件が発生し、その参考人のひとりとして、過去に荒川で発生した未解決事件の犯人ではないかとみなされていた松倉が浮上する。

その未解決事件は、最上が大学時代に暮らしていた寮の管理人の娘が殺害された事件。最上はすでに卒業した後だったがその少女は寮のアイドル的存在で、少女も最上を慕っていたようだ(最上の撮影したビデオを大切にしていたというセリフがあった)。殺害されたとき高校生で、最上の寮生活中は中学生くらいなので恋愛感情はなかったと思うが、たぶん妹のような感じでかわいがっていたものと考えられる。

松倉は荒川の未解決事件の被疑者として警察から尋問をうけていたが、自白が取れず結局放免され、事件は迷宮入りとなっていた。

沖野による老夫婦殺害事件の尋問において、松倉は荒川の未解決事件の犯人が自分自身であることを自白する。すでに時効が切れており、自白しても罰せられることはない。

最上は松倉の未解決事件の自白を聞き、老夫婦殺害の犯人として法的に罰しようとする。見ているこちらも最初は松倉のあやしい風貌や言動により、「こいつが犯人じゃないか?」と思ってしまうが、途中で実際には犯人が別人であると判明します。

最上はそれでも自説を曲げない。

最上にとっての「正義」は、少女を殺害した犯人へ罰を与えることなんです。

しかも求めているのは個人的な罰ではなく、司法による正当な罰です。

老夫婦殺害の真犯人である弓岡については最上が自分の手で殺害したにもかかわらず、松倉については司法として正当な手続きを経たうえで罰することができるように老夫婦殺害の犯人に仕立て上げようとしたんですよね。

この執念はすごいものがあります。

それだけ少女の死が無念だったということなんでしょう。

松倉の自白を聞いていた時の表情はそれがよく表れていました。

もしかすると、被疑者を弁護する弁護士ではなく、被疑者を裁こうとする検察官という職業を選んだきっかけになっているのかもしれません。

 

一方、沖野にとっての「正義」は、犯罪を犯した当人が法律に則って罰せられるべきである、というものです。

そのため、弓岡が犯人であるという証言や証拠が出てきても松倉犯人説を曲げない最上に疑いを持ち、最後には検察官を辞職し、松倉の国選弁護人のために動きます。

沖野の正義の方がまっとうで当たり前のように思えます。

わたしも映画を見ている間は沖野側よりの考えで見ていました。法律は守るべきもので、復讐のために法律をやぶるなんてとんでもない、と。

でも後から「本当にそうなのか?」と考えてしまいました。

映画の中では、松倉の過去の殺人については時効を迎えています。

最上にとってずっと探していた犯人・松倉に対して、法律に則っていたら何もできないもどかしさは、図り知れないものと想定できます。

自分が当事者だったら犯人に相応の罰を与えたいと考えるのは、不思議なことではないです。

最上も安直に考えて行動しているわけではないはずで、悩みに悩んだ末の行動だったんだと思うんですよね。この気持ちも分からなくはないです。

一方の沖野にとってはある意味、他人ごとです。数ある事件の中のひとつでしかないでしょうし。

橘のセリフにもありますが、100%の真実なんてものは存在せず、実際にはある人にとっての正義が、別の人にとっては正義ではなかったりするんですよね。

当事者かそうでないかで、同じ事象に対する正義が変わってしまうということですね。

絶対的な正義は存在しない、と。

いや何か難しい。

(ちなみに現在の日本の法律では、殺人罪などの法定刑の上限が死刑であるものについては時効が廃止されています。また廃止時点で時効が来ていないものについてもさかのぼって適用されるとのことです。ただ強姦致死罪や傷害致死罪についてはまだ時効があります。)

師弟関係

沖野は研修の教官を務めていた最上の言葉に感銘を受け、「最上流正義の継承者」と自称するほど最上を崇拝していました。

最上も沖野が成長できるよう、諏訪部の尋問に当たらせるなどチャレンジングな目標を課し、沖野に目をかけていました。

いわば師弟関係です。

それが、松倉の名前が捜査線上に上ってきたことで崩れてきます。

最上は、まだ若手で操りやすそうな沖野を主任検事とすることで、自分の思い通りに動かそうとします。

実際に、取り調べの内容を電話でこっそり聞いて、検察事務官のパソコンに指示を送るなどといったこともしている。

沖野の方もだんだんと最上のおかしな点に気づいてきます。(むしろ検察事務官である橘の方がよく気づいてるけど)

最上がどうにかして松倉を犯人にしようと自分のストーリーを語るシーンで、真実を知ることではなく、復讐を果たすことの方に重きを置いている最上に対して、沖野は「検事でいる意味がない」と言い放ち、検事を辞職します。

この時点ですでに目指すところが違ってきてしまっているんですよね。

ラストシーンでは、議員秘書で自殺した友人丹野から送られてきた収賄の証拠を沖野に見せ、高島議員の収賄を暴き法的に裁くことで正義を行おうと持ち掛けます。

でも沖野にとっての「正義」の意味が、最上の「正義」とは決定的に異なってしまっていて、もはや相容れられないんです。

完全に決裂してしまったことに対する沖野の悲痛な叫びが悲しいですね。

二宮和也の演技

沖野が松倉を取り調べするシーンに圧倒された。

松倉が過去の犯行を自白した後、沖野が松倉が老夫婦を殺害した犯人ではないかと問い詰めるシーンだ。

何としても自白させようとする沖野の気迫がみなぎっている。

発する言葉に強弱をつけ、緩急をつけ、追い込んでいく。

松倉を恫喝しながらも、自分の感情に飲み込まれず冷静に相手の出方はちゃんと見ている。

このシーンの二宮和也の演技がすごい、マジで圧倒された。

おわりに

原田眞人監督の作品って「関ケ原」もそうだったけど、セリフが早くって聞き取りづらい。セリフに集中しないといけないのは多少ストレスです。

キムタクはやっぱりキムタクなんですよね。苦手な感じは抜けないなぁ。

二宮和也がホントに良かったので、それ目当てで見に行ってもよいのではないでしょうか。

【映画】『ペンギン・ハイウェイ』感想・評価(ネタバレあり)

原作は森見登美彦の同名小説。

森見登美彦の作品で映像化されているのは、『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』、『有頂天家族』などがあるが、どれもまだ見ていない。

森見登美彦の独特の文体と不思議な世界観が好きで小説は読んでいるが、好きなだけに映像化されたものを見て、「もしその世界観が壊されてしまっていたら・・」と考えてしまい見れていないのである。

『ペンギン・ハイウェイ』は森見登美彦作品の中でも、森見登美彦テイストが薄いと感じる。手始めにここから見てみようと思った次第である。

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あらすじ

小学四年生のアオヤマ君(声:北香那)は、1日1日、世界について学び、それをノートに記録する。利口な上、毎日努力を怠らずに勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているのか、見当もつかない。そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”(声:蒼井優)と仲良し。“お姉さん”は大人びた賢いアオヤマ君を、ちょっと生意気なところも含めて可愛がっていた。そんなある日、アオヤマ君の住む郊外の街に、ペンギンが出現する。海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、一体どこから来てどこへ消えたのか……。その謎を解くため、研究を始めるアオヤマ君。そして、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんは告げる。“この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?”“お姉さん”とペンギンの関係とは……?そして、アオヤマ君は謎を解くことができるのか……?

出典元:MovieWalker

感想

少年の成長と恋

物体をペンギンに変えることのできるお姉さんと、頭がよく努力家でもある少年アオヤマ君のお話。アオヤマ君は結婚相手をそのお姉さんと決めている。

アオヤマ君は「なぜお姉さんが物体をペンギンに変えることができるのか」という謎について解き始める。お姉さんの能力やペンギンだけでなく、森を抜けた先の草原にある<海>やジャバウォックなど、不思議なものや現象が起きる。それらは一見まったく関係のない別々のものかと思われたが、アオヤマ君はお父さんやお姉さんの知恵や助言を受け「実はすべてがつながっていて、結局問題はひとつなのでは?」という仮説を立てる。その仮説を用いればこれまでの不思議な現象すべてに説明がつくが、アオヤマ君にとって、またお姉さんにとっても不都合な事実に気付いてしまうのである。

その事実とは、問題が解決するとお姉さんがいなくなってしまう、というものだ。

アオヤマ君は頭脳明晰で、自分でもそれは自覚している。何でもできると思っているし、実際大抵のことは(小学生なりに)できてしまう。ただ、お姉さんがいなくなってしまうということに対しては無力なのである。問題を解決しないままにしておくことはできない。アオヤマ君にとって自分の力ではどうしようもないのである。

実際に問題が解決したあと、お姉さんはいなくなってしまおうとする。

常に冷静を保とうとしているアオヤマ君もこの時ばかりは涙を見せる。実際にはお姉さんが「泣くな、少年」と言い、アオヤマ君が「ぼくは泣かないのです」と言い返すだけなのだが、実際には泣いているはずだ。本当に好きだった人に会えなくなってしまうのだ。泣かないわけがない。

アオヤマ君は最後に「ペンギン・ハイウェイをたどっていけばもう一度お姉さんに会うことができると信じている。これは個人的な信念である」と言っています。少年アオヤマ君にとってはこのときの無力感が成長につながっていくんですね。

ちなみにアオヤマ君は恋愛には疎い。ウチダくんやお姉さんが気づいている、スズキ君のハマモトさんへの想いも一人だけわかっていなかったし、ハマモトさんが自分を好きでいてくれていることにも気づいていない。恋愛以外のことであればノートに事細かく分析できるが、自分のお姉さんに対する恋心については、まったく分析できておらずうまく表現できていないのがノートにも表れている。お姉さんの家に行った際にお姉さんが寝てしまった時のことをノートに書いているが、「お姉さんの顔、うれしさ、遺伝子、完璧」とだけ書いてあるのである。この辺りは小学生らしさが出ているということだろう。

原作との違い

物語の大筋において原作と映画の違いはない。

細かい違いは多々あるが、2時間の映画に収めるため等で変えたものと考えられる。

例えば、映画ではプロジェクトアマゾンをウチダ君ひとりで続けていたが、原作はスズキ君一派が半分解明していた。スズキ君たちが<海>のある草原にたどり着いたことで川がつながっていることに気づいたのである。

また、<海>の性質もあまり映画では描かれていなかった。映画で出てきたのは1シーン、お姉さんがペンギンを近づけたシーンのみだったが、原作ではプロミネンスやその他現象に名前までつけていたりする(映画でもアオヤマ君のノートには現象名の記載はあった)。光を曲げる現象やスズキ君が<海>に接触して過去に戻ったことも映画には出てこない。

ひとつだけ映画で再現したほうがよかったと思った箇所がある。アオヤマ君の飲むコーヒーのシーンだ。原作ではアオヤマ君がコーヒーを飲むシーンが何度か登場する。最初はまだブラックで飲む訓練中ということで砂糖を入れている。一方、一連の騒動の後、お姉さんがいなくなった後は砂糖を入れずに飲んでいる。つまりアオヤマ君が大人へと一歩成長したということの隠喩であろう。映画の中では、最初の方に家でお父さんにチョコを渡されたときコーヒーをブラックで飲んでいる。中盤あたりではお父さんと車で喫茶店に行った際にミルクを入れたコーヒーが映る。砂糖が入っているかは判別できないが、ブラックでないことは確かである。映画においてはコーヒーは特に何も意味していないようである。(最初に家でコーヒーを飲ませた意味は何だったのだろうか??)

漫画や小説を原作とした映画については、少なくとも自分としては、その漫画や小説のファンであればあるほどその世界観を壊されたくないという思いから否定的になってしまう。そういう意味で森見登美彦ファンとしてあまり期待しないで見たのであるが、世界観はそのままに、むしろより良いものに仕上がっているように感じました。特にそう感じたのが、終盤の<海>のなかに突入するシーン。原作では歩いて入っていきますが、映画ではペンギンに乗って突入していきます。この疾走感あふれる映像は映画ならではという感じでよかったですね。

真理

怒りそうになった時の対処法をアオヤマ君が教えてくれている。 

怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。

そうすると心が大変平和になるんだ。

もうこれは真理にほかなりません。 

実践してみましょう。

 

おわりに

お姉さんの家の本棚に森見登美彦の『竹林と美女』が映ってます。(現実では『美女と竹林』ですが。)こういうのがあるので映画に出てくる本棚を見ちゃいますよね。

そういえば、映画予告の「走れ、アオヤマー」って言いながら缶ジュース(この時はもものジュース)を投げてる箇所、声とシーンが違いますね。声は学校から抜け出したあと捕まりそうになった時のスズキ君ですね。お姉さんは「アオヤマ」とは呼ばないで「少年」と呼びますし。(ちなみにお姉さんの声、なんかちょっとおばあさんっぽくて多少違和感を感じました。)

「走れ、アオヤマー」は予告の1分11秒当たり↓

総合的には、森見登美彦作品のほかの映像作品も見てみようと思えるくらい、見終わりがすがすがしくて良かったです。

【映画】『未来のミライ』感想・評価(ネタバレあり)

細田守監督作品を映画館ではじめて見たのは『サマーウォーズ』。

大した前提知識もなしに見た。内気な人付き合いの苦手な男子高校生が憧れの先輩とその大家族とともに、人とのつながりが生み出す力で危機に立ち向っていくストーリーに胸が躍り、当時のわたしにとってはまさにドストライクの映画でした。

次に見たのは『おおかみこどもの雨と雪』。『サマーウォーズ』の期待から見に行ったもののまったくピンとこなかった。

『バケモノの子』に至ってはスルーしました。なんとなく細田監督の映画を見るターゲットではないのでは、と思っちゃったんですよね。

『未来のミライ』はどうなんでしょう?ふと興味が湧いたので見てみました。

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あらすじ

とある都会の片隅にある、小さな庭に小さな木が生えた小さな家。ある日、4歳の甘えん坊、くんちゃん(声:上白石萌歌)の前に、生まれたばかりの妹がやって来る。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんは庭で自分のことを“お兄ちゃん”と呼ぶセーラー服の少女と出会う。それは、未来からやってきた妹のミライちゃん(声:黒木華)だった。ミライちゃんに導かれ、時を越えた家族の物語へと旅立つくんちゃん。それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりだった。行く手に待ち受けていたのは、見たこともない世界。昔、王子だったと名乗る謎の男や幼い頃の母、そして青年時代の曽祖父との不思議な出会い。そこで初めて知る様々な“家族の愛”の形。果たして、くんちゃんが最後に辿り着いた場所とは?ミライちゃんがやってきた本当の理由とは……?

出典元:MovieWalker

感想

成長物語

くんちゃんは、過去や未来への不思議な体験をします。

庭の木が家族のインデックスとなっていて、いろいろな時代の家族にアクセスできるようになっているってことなんでしょうね。

未来のミライちゃんだけでなく、こどもの頃のお母さんや若いころのひいおじいじにも出会います。その出会いを通してくんちゃんが成長していくストーリーになってます。

こどもの頃のお母さんとは、いっしょに家の中を散らかしまわって遊びます。本棚から本を片っぱしから出したり、干してある洗濯物を軒並み落としたり、冷蔵庫の中を出したり。その後お母さんのお母さんが家に帰ってきた後は叱られているのが聞こえてきます。くんちゃんとしては、ミライちゃんが生まれてからは「おもちゃを片づけなさい」と言われたり、あまり構ってもらえなかったりで、もはやママではなく鬼ばばとしか見れなくなっている状況でした。そんな状況で、お母さんもこどもの頃は自分と同じように遊んで、散らかして、叱られているのを目の当たりにしたのは、自分と同じようなこども時代を過ごしたくんちゃんにとってお母さんを再度好きになれるような出来事だったに違いありません。こどもにとって親にもこどもだった時代があったなんて想像できないでしょうからね。寝ているお母さんの頭を撫でてあげるくんちゃんの姿、すごくよかったですね。

でも、上記以外のエピソードはちょっとよくわからない印象。

特に東京駅で迷子になるやつ。もうミライちゃんが何か月も経っているはずなのに、自分の家族として認識していないんかい。この時点で初めてミライちゃんを自分の妹として認めたってことなのか?なんか絵的にも怖いし、よくわからない。

ひいじいじと自転車の話もなんかこじつけっぽい。ひいじいじが戦争で死ななかったことが、今のくんちゃんにつながっているっていうエピソードが必要なんだろうけど、そもそも4歳児が補助輪なしの自転車ひとりで乗らないでしょ、早すぎる。

最後にミライちゃんが「些細なことが積み重なって今のわたしたちを形作る」的なことを言いますが、だからなんなの?って感じである。ひいじいじが必死に泳いで死ななかったことは些細なことなのか。しかも4歳児がそれ聞いても理解できないよ。

 

くんちゃんって4歳なの?

我が家にも4歳児がいるが、くんちゃんは何歳なのか謎である。

ミライちゃん・ゆっことひな人形を片づけるエピソードで、お父さんに見つかりそうになったときに、くんちゃんがお父さんの気を引こうと「でちゃう」って言うんだけど、個人差はあるとしても4歳ならひとりでトイレいけますよ。

それなのに自転車は補助輪なしで乗ろうとするし。

どういう設定なのかよ。

逆に妙にリアリティがあるところもある。あくびした時のミライちゃんの舌が白いとか、くんちゃんの寝方とか、ふたり目のこどもを育てる時にはひとり目を育てた時のことなんて全然覚えてないこととか。「あーそうそう、こんな感じ」とは思うけど。監督最近こども生まれたのかなって感じ。

 

子育て

「こどもってすごい。誰に教わった訳でもないのに、突然ポンっとできるようになる」というお父さんの発言が映画の中ででてくる。

いかにこのお父さんがこどもを見てないかってことを表している。

そんな訳ないだろ。お前は何もしないし、何も見てないだけじゃねーか、という感じである。くんちゃんをもっと見てあげろ。変な空想の世界に入り込んで勝手に成長してるぞ。

たしかに父親は、母親に比べると年齢の低いこどもに求められることが少ない。

お父さんはずっと家にいるのに、くんちゃんが会社から帰ったお母さんに「お母さん、お母さん」と呼びかけている場面がある。甘えているのである。同じ状況でもお父さんに対してだったら絶対にしない。

ちなみにこの映画のお父さんは頑張ってる雰囲気はあるが基本何もしていない。雰囲気だけだ。そんなことをお母さんにも言われているし、くんちゃんが遊んでほしそうに呼びかけても生返事しか返さない。そのまま行くと母親とこどもたちに置いてけぼりにされてしまう。

「完璧じゃなくても、そこそこの子育てでいいよね」という様なことを最後の方でお母さんが言うが、お母さんはそこそこでもいい。むしろお父さんもっと子育てしろよ、と心の中で叫んだのはわたしだけではないはずだ。

 

おわりに

くんちゃんの家の実際の場所、グーグルマップを見てたらそれらしい場所を見つけちゃいました。

途中でくんちゃんが電車に乗る磯子駅や、映画の最初の方の空からの絵から見える野球場などから推測すると、この↓辺りのようです。

①の新根岸公園の野球場が、

あと特徴的なのは、京急本線を挟んで北西にあるマンションですね(地図上の②)。映画ではマンション自体は映ってるようには見えませんが、白い壁のようなものが映っており、これは実際にマンション沿い存在しているようですね。(山をコンクリートで固めたんでしょうか)またマンションのすぐ下の国道16号(横須賀街道)の中央分離帯の形も独特です。

③がくんちゃんの家と思わしきところです。

 

予告と見比べるとより分かりやすいです。(15秒当たりでうまく止めるとgood)

こう見ると、くんちゃんが自転車の練習をする根岸森林公園や、電車に乗る磯子駅は結構離れてますね。(両方ともくんちゃん家より北の方にあります。根岸森林公園の最寄駅は根岸駅)

 

ともあれ映画としてはやっぱりわたくしは細田監督作品に向いてないことを再認識できました。次作は見ないかもな。

「こんなの4歳児じゃない」と多くの人から顰蹙を買っているくんちゃんの声は、途中から慣れてきてそこまで気にならなかったな。

 

細田守監督作品はHuluで見れます。

【映画】『オーシャンズ8』感想・評価(ネタバレあり)

オーシャンズシリーズ最新作。

なぜ11→12→13と来て、8なのだ。

今回は、前作までとは打って変わって女性だけのメンバー。

何よりわたくしアン・ハサウェイが好きである。

期待を込めてHuluで直前にオーシャンズ11~13までちゃんと見たぞ。

初日朝から映画館へGO!

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あらすじ

5年の刑期を終え、晴れて刑務所を出所したデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)。かつて“オーシャンズ”を率いたダニー・オーシャンを兄に持つ、生粋の強盗ファミリーの一員だ。出所早々、刑務所の中で考え抜いたプランを実行に移すべく、右腕のルー・ミラー(ケイト・ブランシェット)と共に、個性豊かな犯罪のプロたちに声を掛け、“オーシャンズ”を新結成する。集まったのは、いずれも一流の才能を持ちながら、冴えない生活を送るハッカーやスリ師、盗品ディーラー、ファッションデザイナー、宝飾デザイナーといった面々。彼女たちのターゲットは、世界最大のファッションの祭典“メットガラ”でハリウッド女優ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)が身に着ける1億5000万ドルの宝石。しかしその前には、網の目のように張り巡らされた防犯カメラに加え、屈強な男たちという世界一厳しいセキュリティが立ちはだかる。たった1秒の狂いが命取りになる。しかも、この祭典は世界中に生配信される予定となっていた。世界中が見守る前で宝石を盗み取るという前代未聞かつ型破りな犯罪。果たしてその計画は成功するのか……?そして、その裏に隠された更なるデビーの思惑とは……?

出典元:MovieWalker

感想

さすがオーシャンズ!キャストが豪華!

豪華も豪華。無駄に豪華。

デビー・オーシャンはサンドラ・ブロック、デビーの右腕ルーにはケイト・ブランシェット。オーシャンズの仲間にヘレナ・ボナム・カーターやリアーナなど。

オーシャンズのターゲット役ダフネはアン・ハサウェイ。

ダコタ・ファニングも出てる。ちょい役。

その他本人役でいろんな人が出てますね。

ヴォーグ編集長のアナ・ウィンター。「プラダを着た悪魔」のモデルの編集長ですね。

トム・クルーズの前の奥さんのケイティ・ホームズ。パーティではダフネのふたつ隣に座ってましたね。

テニス界からはセリーナ・ウィリアムズとシャラポワもいました。セリーナは名前も呼ばれてたけど、シャラポワは見過ごしがちかも。

キム・カーダシアンもいたわ。

あ、そういえばテイラー・スウィフトって名前は出てくるけど、どこかに映ってた??

オーシャンズ11~13でもかなり豪華でしたが、それに負けない豪華布陣ですね。

オーシャンズシリーズは犯罪ものの映画ではありながらも銃を使ったり人を殺したりしないのですが、このキャストの豪華さで話が十分盛り上がりますよね。

 

盗み方、意外と地味?

話を盛り上げるのは、ストーリーのメインとなる「どうやって盗むか」というところも大きいですよね。

デビーとルーが計画立ててるところは、前作までのダニーとラスの関係に似てますね。それ以外の仲間たちが特技を活かして計画を実行していきます。

テンポよく鮮やかに盗んじゃうんだけど、よく考えると意外と地味な盗み方なんですよね。それだけ計画がよく練られてたってことなのかな。

あんまり予期しないアクシデントもなくスムーズに盗めちゃうんですよね。前作までは思いもよらないアクシデントが起こって「どうなるんだ!」ってハラハラしながら見てて、実は計画の一部でしたみたいな「まじで?!」的な展開もあったけど、今回はそういう意味では爽快感は少なかったかな。

 

3.盗むだけじゃない!実はそっちがホントの目的だったりして。

デビー・オーシャンの目的は単にネックレスを盗み出すことだけじゃなく、もう一つ別の目的があります。デビーが刑務所に入っていた原因となった人への復讐ですね。

オーシャンズ11でもダニー・オーシャンが現金強奪以外の目的として、前の奥さんテス(ジュリア・ロバーツ)をベネディクト(アンディ・ガルシア)から取り戻そうと計画していたのと重なりますね。デビーもダニーも仲間には知らせずにもうひとつの目的を実行しようとしますが、途中で発覚して、ルーやラスから案の定やめろって言われれちゃいます。

ふたりとも本当は現金やネックレスの強奪が目的ではなく、もうひとつの方が真の目的であるようにも思えますよね。強奪はむしろ仲間を集めるための体の良い理由に過ぎないのかもしてないなぁって思っちゃいます。

 

おわりに

一応オーシャンズ11~13まで見たけど、特に見ないとダメというものではない。

前作までのメンバーで出てくるのはふたりだけだし。

そういえば今作の中で、オーシャン兄妹であるダニー・デビーにはもうひとり妹がいるって言ってましたね。主婦やってるって言ってたような。次作オーシャンズ9ではその妹が出てきたりして、とか思ったりもしました。

ダニーは本当に死んだのかも気になるなぁ。

あ、アン・ハサウェイの高飛車な感じ、すごくよかった。

次作にも期待っ!

 

【映画】『センセイ君主』感想・評価(ネタバレあり)

『君の膵臓をたべたい』主演の浜辺美波がヒロインやるっつったら見るしかない。

しかも監督もキミスイの月川翔。

雰囲気的にはまったく違う映画だけど、これは期待しかないぞ!

さっそく初日の朝9時から映画館に行ってきた!

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あらすじ

恋に恋する16歳の女子高生・佐丸あゆは(浜辺美波)は、告白7連敗中。「彼氏が欲しい」しか頭にないあゆはは、新任の超横暴で冷徹なヒネクレ者の数学教師・弘光由貴(竹内涼真)に“イチャイチャしてくれる人募集”の張り紙でも背中に貼ればと冷たくバカにされる。あゆはは、絶対に彼氏を作って先生をぎゃふんと言わせると張り切るが、またもや失恋。挙句、弘光に再び嫌味を言われてしまうのだった。そんなある日、弘光が悪気なくアドバイスをしてくれているのだと気付いたあゆはは、その途端に弘光のことが気になり始める。あゆはは必死に自分の恋心を抑えようとするが、雨の中、車で家まで送ってくれたり、個別で勉強を教えてくれたりする弘光に陥落。だがそんなあゆはの恋は前途多難であった。感情がすべて顔に出てしまうあゆはは、告白する前に弘光から「高校生相手に恋愛なんてありえない」と速攻でフラれてしまう。一方、どんなに冷たくされようともくじけないあゆはは「先生をおとしてみせます」と大胆宣言。弘光も、そこまで言うならおとしてみなよと挑発する。あゆはの猛アタックと、弘光の冷たい防御。そんな二人の恋愛バトルに、あゆはに想いを寄せるあゆはの幼馴染で同級生の澤田虎竹(佐藤大樹)、そして弘光に思いを寄せる弘光の幼馴染の音楽教師・柴門秋香(新川優愛)も参戦し……。

出典元:MovieWalker

感想

浜辺美波目当てで見てはいけない

わたくし浜辺美波さんが大好きです。

『君の膵臓をたべたい』で見てからその魅力にもう虜です。

映画館で5回見て、Blu-rayまで買っちゃうほど好きです。

儚げだけどまっすぐに生きようとしている感じがすごくいいんです。

 

一方『センセイ君主』ではまったく違う役柄です。

かなりおバカで何事にも全力投球なキャラ。

変顔連発です。微妙にへんな髪形だし。

途中早口なのか何言ってんのか分かんないシーンあるしな。聞き取りづらい。

というか最近の高校生はこんな感じなんですかね、共感できるのかな?

もはや正直、途中からおばちゃんにしか見えなくなってくる、マジで。

顔で笑わせようとしてどうすんのさ。結果ぜんぜんおもしろくない。

なんか微妙なネタが多いんだよな。

まぁまったく笑えないわけではないんだけど。巨乳ネタとかは良かった。

でもスカウターネタとか金八のものまねとか、何がおもしろいのかよくわからん。

求めてるのはこんなんじゃないよ。浜辺美波の魅力が伝わって来ん。ぜんぜん胸キュンしないわー。残念。

男子諸君、浜辺美波目当てで見に来てはいかん。

あ、ムネボンババボンもよかったな。(胸ネタだけかよ)

 

竹内涼真は良いよ

観客の9割が若い女性でした。

映画館に見に来る大半の女子のお目当は竹内涼真がということでしょう。

映画がはじまってしばらくは竹内涼真が出ると女子のひそひそ声が聞こえてくるほど。

ドラマ『過保護のカホコ』の時もそうだったけど、竹内涼真は上から目線的な役柄だとすごく良いです。

「オレのこと好き?」って、『過保護のカホコ』の麦野くんも言ってたセリフを『センセイ君主』でも言ってます。

「オレを落としてみなよ」なんて、あんたサイコーにカッコイイよ。

男子でも惚れそうになりますよ、クールでまじめな感じ。

浜辺美波ではなく、竹内涼真を見る映画です。

鎖骨も見られるしね。いや別に見たくないか。

 

行動あるのみ

弘光先生を好きなあゆは。

同じく弘光を好きな柴門秋香。

あゆはを好きな虎竹。

弘光を中心とした四角関係です。(多少虎竹は存在感薄いですが)

そんな中で弘光は、「好き」に対して全力でまっすぐなあゆはにだんだんと惹かれていきます。

全力で気持ちをぶつけてくるあゆはに対して、自分自身は好きなこと(=数学)から逃げて高校教師をやっている。あゆはには「漫然と生きるのやめたら?」と言っておきながら、数学で自身の能力の限界を知ってしまう怖さから、好きなことに正面から取り組まず、漫然と生きてしまっていたんですね。

あゆはのことは気になっているが、自分が好きなことから逃げたままでは自分の想いを伝えることはできない。

あゆはも弘光先生のことをすきだからこそ、夢を実現させるために先生のことを一度は諦めます。先生直伝の三段論法で表現してましたね。(先生には幸せにしていてほしい → 先生は数学をしている時が幸せ → フランスで数学を研究するのが幸せ)

弘光はけじめをつけるためにも、再度フランスへ渡り数学の研究に取り組むことにします。

1年半後、数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を受賞し、一区切りつけた後、日本に帰国し、想いを伝えるんですね。めでたしめでたし。

いやぁまじめですね弘光センセイ。

何てったって一緒に秋香も渡仏してるんですよ。あんなに顔小っちゃくて背も高いし、 何より自分のこと好きになってくれてるんですよ。そっちになびかないなんて、ありえないくらいまじめ。

でも、四角関係のなかで唯一自分の想いを行動に移せていたのがあゆはでした。

秋香はなかなかちゃんと思いを告げられず、やっと行動を起こした芸術祭ではすでに弘光はあゆはの方を向いてしまってました。

虎竹もあゆはにずっと告白できてません。

そんな中で行動に移すことの大切さに気付き、実際に行動した二人が結ばれたのは必然ですね。

行動すれば必ず願いがかなうわけではないですが、行動しないとスタートラインにも立てませんからね。

でもなんか納得できないんだよな。秋香いるじゃん、こんな近くに。振り向いてあげて。

 

おわりに

浜辺美波がちょいと残念で、ラブコメディとしてもいまいちでしたが、

小ネタで「おっ!」と思わせてくれるところがありました。

 

まずは、SALMIAKKI。

アオちんの部屋においてありました。

世界一まずいと言われるフィンランドの飴です。

北欧だけあってデザインはかわいいです。

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出典元:http://finland-zakka.shop-pro.jp/

 

あとは、キミスイ出演者の出演かな。

アオちんの彼氏はキミスイのガムくんやってた矢本悠馬ですね。今回もいい味出してます。

北川景子も出てましたね。浜辺美波が走って(合唱のトレーニング?)シャドーボクシングやってるところに出てきますね。「おおっ!」と思わせるカメオ出演でしたね。

 

【映画】『ジュラシックワールド/炎の王国』感想(ネタバレあり)

ジュラシック・パーク公開からなんと25年も経っているらしい。

今作はジュラシック・パークから数えて5作目、前作から始まった新三部作としては2作目。

前作は公開時に見てるものの、うろ覚えで特に見返してもない状態のまま映画館に突っ込みましたが、果たして楽しめるんでしょうか!?

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1.あらすじ

ハイブリッド恐竜“インドミナス・レックス”とT-REXの死闘により崩壊したテーマパーク“ジュラシック・ワールド”が存在するイスラ・ヌブラル島。この島で、火山大噴火の予兆が観測されていた。危機的状況が迫る中、人々は恐竜たちの生死を自然に委ねるか、自らの命を懸けて救い出すか、究極の選択を迫られる。救出を決意した恐竜行動学のエキスパート、オーウェンクリス・プラット)は、テーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)と共にすぐさま行動を開始。ところが、島に向かったその矢先、火山が大噴火を起こす。こうして、生き残りを賭けた究極のアドベンチャーが幕を開ける……。

出典元:MovieWalker

 

2.感想

1.邦題これでいいのか

邦題は『ジュラシック・ワールド/炎の王国』です。

「王国」は、恐竜たちが自由に暮らしている島全体を指しているものですかね。

「炎の」部分は、火山の噴火で「ジュラシック・ワールド」を含む島が炎に包まれるところからつけられたと思われます。

たしかに溶岩が迫ってきたり、派手に噴火したりしていますね。

でも「炎の王国」という言葉から想像するイメージとはちょっと違うよなぁ。

  

原題は『Jurassic World:Fallen Kingdom』。

「崩れゆく王国」 とでも表現したらいいでしょうか。

恐竜が安穏と暮らしていた王国である島が噴火によって崩壊してしまう、と原題の方がイメージにピッタリあってますよね。

それに加えて、今作後の世界が、今まで人間が支配してきた地球という王国が恐竜たちによって崩壊させられてしまう、という未来も想起できるようにも感じます。(深読みしすぎ?)

 

とはいえ、もっと素直に邦題つけたらいいんじゃないかな。

 

2.迫力とドキドキ感

前半、島を脱出するまでの展開における、ジュラシック・ワールドシリーズでイメージするような恐竜たちの迫力は、すさまじいものがあります。

特にクレアたちが制御室内で溶岩が流れ込む中で恐竜と戦うシーンや、火山が噴火してオーウェンたちと恐竜が逃げる場面でも恐竜同士の争いのシーンなど、このシリーズならではの恐竜たちのド迫力はたまらないです。これを求めて見に来る方も多いですよね。

 

一方後半は、夜のお屋敷を舞台にハラハラする展開となっており、ホラー的な要素も多くありました。

メイジーちゃんがベッドに隠れている部屋に、インドラプロルが屋根から降りてきてドアノブを開けるシーンなんかは、もはや恐竜映画とは思えないくらいのどきどきでした。

後半は恐竜があまり出てはこないので、恐竜が暴れまくるような映画を期待しているとちょっと違うと感じるかもしれません。

ただ、後半のそんな中においても、恐竜の牙コレクターの傭兵さんがインドラプトルにガブっと腕食べられちゃいましたし、恐竜映画っぽさも随所にちりばめられているので、そこは楽しめますね。

(悪者って結局はこういう運命なんですね。。 秘書といい、傭兵といい。)

 

3.生命とは

後半のストーリーのキーパーソンのひとりであるメイジーちゃん。

彼女の出生の秘密が肝となります。

メイジーちゃんは、自分自身と恐竜たちの生い立ちを重ね合わせて、死にゆく恐竜たちを見捨てることができませんでした。

彼女にとっては、恐竜たちを見殺しにしてしまうことは、すなわち自分自身が殺されてしまうことと同じ意味をもちます。

たとえその決断で地球が危機に陥ってしまうとしても、自分の存在意義を貶めるようなことはできなかったのではないかと、思えます。

人間が、その身勝手さから自然の摂理に反して現代に生み出してしまった恐竜の生命。自分たちが生み出したからと言って、自分たちの手で葬ってもいいとはなりません。生命に対する責任があります。

そこにこの映画のメッセージが込められているんではないかと。

恐竜たちが地球全体を自由に闊歩し、結果的に人間への脅威となるとしても、自分たちの行動の結果に対する責任は全うしないといけない…難しいですね。

 

3.おわりに

 些細な部分で気になる箇所はあります。

たとえば、オーウェン・クレア・ウェブの3人が、火山が噴火して崖から落ちた後の展開。海に落ちる → いつの間にかビーチに上陸 → 小高い丘から恐竜が船に積み込まれるのを見る、という一連のシーン。ほぼ一瞬ですごい距離を移動してない?あんたたちそこまで車で移動してきたんじゃなかったっけ?

島に残されてしまった恐竜が、船の方を見て悲しそうに鳴いていたのは、涙を誘うシーンもあります。あそこはちょっとしんみりしてしまう。

まあ全体としては、かなり楽しめます。たとえ前作うろ覚えでも。前半と後半の切り替えもあり、時間が経つのも忘れて楽しめます。

実際、恐竜のいる現実ってどんなものでしょうね。コントロールできない想定外の事態が起こりすぎて、もはやこれまで通りの生活は送れさそうです。外出するのも一大事ですね。

(あれ?でも恐竜たちって発信機ついてるんだっけ?また捕まえてどこかの島に隔離できないの?)

 

【映画】『待ちきれなくて…』感想(ネタバレあり)

体験したわけではないのに、見たり聞いたりすると懐かしいって思うことってありますよね。

何でなんでしょうか。

映画『待ちきれなくて…』も私にとってそんな風に思わせてくれるもののひとつです。

 

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1.あらすじ

ハイスクール最後の夜の親の居ぬ間のパーティーが舞台。

それぞれの思惑を胸に卒業生たちがやってくる。 

 

4年間想いつづけた学園のプリンセス、アマンダ(ジェニファー・ラブ・ヒューイット)に告白しようと、翌日東海岸に旅立つ予定のごくフツーの学生プレストン(イーサン・エンブリー)もパーティーにやってきた。

 

アマンダは、4年間付き合っていたジョックのマイク(ピーター・ファシネリ)に振られたばかり。

 

プレストンにいやいやながら連れられて来られた親友女子のデニース(ローレン・アンブローズ)と、童貞を卒業しようとパーティーにやってきたケニー(セス・グリーン)は幼なじみ。

 

ハイスクール一の秀才のウィリアム(チャーリー・コスモ)は、いじめつづけられたマイクに復讐しようと企んでいる。

 

2.感想

1.それぞれの想い

アマンダとプレストン

アマンダは4年間付き合ったマイクに振られた直後。

「つきあって4年。ほとんど永遠。」

とアマンダが言うように、高校の4年間なんて当時ではほぼすべてですよね。

(日本だと3年間ですが。)

おわりが来るなんて考えもしない。

ずーっとマイクの彼女として過ごしてきた。

みんながマイクの彼女としてしか見てくれず、自分自身を見てくれていない。

これでいいのか悩んでいたんですよね。

マイクの彼女としての自分ではなく、本当の自分や自分の居場所を探しているんです。

 

それを端的に表しているのが、進路。

6人のメイン登場人物のうち、アマンダ以外の5人はそれぞれ大学に進学することが決まっている。

アマンダだけは、進路が未定。

悩んでいるんですよ。

今までの自分は、これでよかったのか。

これから、どうしていけばいいのか。

 

でも、プレストンの手紙を偶然手にしたアマンダは、

自分のことを本当に想ってくれている人がいることに初めて気づくんです。

  

ほかの多くの人は体目当てだったりする中で、

ちゃんと自分という人間をみてくれているっていうのは、思いのほか心に響きますよね。

 

デニースとケニー

ケニーは、ハイスクール入学後、それまで仲が良かったデニースを「幼なじみなんてダサい」的思考から避けます。

デニースも、黒人気取りで勘違い野郎であるケニーに近寄ろうとはしません。

4年間、話もせず反目しあっていた関係です。

ケニーはデニースのロッカーに悪口書いたり、デニースはケニーを「樹木フェチ」って呼んだり。

 

ただこれ、表面上だけなんですよね。

お互いに気になる関係であるにも関わらず、素直になれなかったんですよね。

実は一番長く一緒に過ごしてきて、一番お互いを知っていて、一番安心できる関係だったのが、ケニーにとってはデニースであり、デニースにとってはケニーだったんです。

 

だからこそ、トイレに閉じ込められて二人きりになったことで、今まで話せなかったことを話すうちにそれに気づいた。

 一番近いところに、自分にふさわしい人はいるってことはよくありますね。

  

2.はざまの状態

ハイスクールは卒業したけど、まだ大学生ではない、という言わばはざまの状態。

昨日までは、ハイスクール内の階層で生きてきた。

明日からはそれぞれの未来に進み、分離された同一の階層内で生きていくことになる。

 

今日、この一日だけは それがあやふやになっている状態なので、

いままですれ違ってきた異なる階層のこどもたちの出会いが成り立っている。

 

特に、ジョックス(体育会系)であるマイクと、ブレイン(ガリ勉)のウィリアム。

マイクにいじめられ続けてきたウィリアムは、復讐しようとパーティーに参加したはずだった。でも、アマンダに逆に振られて落ち込んで弱音を吐いているマイクを見て、マイクにも弱くて人間的な部分があることに気づいてしまった。マイクは強がっているだけなんだと。

ここで今まで生まれなかった友情が芽生えます。 

ウィリアムは自分の仕掛けた罠の方にマイクが行かないようにしたり、マイクは警察に捕まったときにウィリアムは悪くないと証言したり、ふたりはお互いを尊重しあっていることがわかります。

映画ではなくても、あまり好きじゃない人でも、弱いところを見せられると、ふっと親近感がわいてくることってありますよね。

 

ただ、この友情もこの一日だけ。

翌朝になると元に戻ってしまいます。

あやふやだった階層がもとに戻ってしまうんですね。

パーティーの一日だけ、あの時だけの儚い友情です。

 

3.印象深い脇役たち

6人の登場人物が中心となってストーリーが進みますが、

随所にでてくる脇役たち(というより端役たち)がいい味だしてるんです。

最後のクレジットロールで、卒業アルバムの写真が出てきますが結構みんな覚えてるんですよね。 

端役まで細かくキャラを作ってあるのがすごい。

細部まで考えられていることで、映画としてもリアリティがでてきます。

 

この脇役たち、結構ほかの学園ものに出演している俳優・女優だったりします。

その一部をご紹介します。 

クリス・オーウェン

  『アメリカン・パイ』のシャーミネーター。随所でいろんなものを盗んでます。

メリッサ・ジョーン・ハート

  『サブリナ』主演。卒業アルバムにクラス全員のサインをもらってる。

クレア・デュバル

  『パラサイト』のゴスっ娘。ダンスアレルギーでケニーを振る。

ジェリー・オコネル

  『スクリーム2』彼氏。マイクに暗い未来を告げる伝説の先輩。

セルマ・ブレア

  『クルーエル・インテンションズ』。ブランコでマイクを振る。

リブ・タイラー

  『エンパイアレコード』。卒業式に足だけ出演。

ジェイソン・シーゲル

  『40男のバージンロード』。スイカ食べてます。

 

4.おわりに

ジェニファー・ラブ・ヒューイットのキュートなナイスバディーがたまりません。

それ目当てでも男子は楽しめそうかな。 

 

そんなに素敵な高校生活を送ってきた記憶はないけど、高校時代はよかったなぁと思い返させてくれますね。青春っていいなぁ。