大分県の岡城。
アクセスやスタンプ設置場所、見どころなど書いていきます。
岡城の歴史
緒方惟義が源義経を迎えるために文治元年(1185年)に築城したことが始まりとされる。
天正14年(1586年)の豊薩戦争では島津氏の大軍が岡城を攻撃するが、当時18歳の城主志賀親次により撃退される。志賀親次はこの戦功により豊臣秀吉から感状を与えられた。島津軍は3度の攻撃を行ったもののことごとく撃破されたため、岡城は難攻不落の城と天下にその名をとどろかせた。
文禄2年(1593年)、文禄の役での大友義統の失策により大友氏が領土を没収されたことに伴い、大友氏重臣の志賀氏も岡城を去る。翌年中川秀成が三木より移封され、入城後3年かけて大規模な修復を行った。この修復では総石垣の城となり、本丸をはじめとした主要な曲輪、大手門などの登城口が完成した。
岩盤の台上に気づかれたため、たびたびの台風や地震・火事やなどの被害を受け、特に明和8年(1771年)には本丸を含む城の大半を焼失する大火が起きている。明治維新後、廃城令によって廃城とされ、城内の建造物はすべて破却されている。
岡城の場所・アクセス
アクセス |
豊後竹田駅から徒歩約25分 |
料金 | 300円 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休業日 | 12月31日~1月3日 |
スタンプ設置場所 |
観覧料徴収所(総役所跡) |
※2020年12月現在。
岡城訪問記
豊後竹田駅からスタートします。
まずは観光案内所に寄って、パンフレットをゲット。
観光案内所には猫がいました、ニャー駅長だそうです。
ピクリとも動かないので、最初は置物かと思ったくらい。
パンフレットを見ると何やら「歴史の道」なるものがあるとのことで、そこを通って岡城まで向かいます。
途中にはこんな感じで、歴史?感じる階段もあったりします。
こんな建物もありました。
さらに進むと広瀬神社(の鳥居)もあります。
途中ではトンネル通ったりして歩くこと約30分、歴史の道を通ると遠回りなので余計に時間がかかりましたが、到着しました。
入り口で入城料300円払い、100名城スタンプももらっていざ登城です。
大手門に続く坂道は雰囲気いいです。12月で紅葉も終わりかけだとは思いますが、所々赤や黄色に色づききれいでした。
ちなみに大手道にはアーチ状の石垣、通称「かまぼこ石」があります。
このかまぼこ石、岡城以外では見られず、製作技法も謎なんです。
坂を上ると大手門です。
デカくて迫力あります。
大手門のちょっと先から本丸の方を眺めてみます。
岡城と言えばここ!みたいな写真撮りたかったんだけど、ちょっと違うかな。。三の丸から。
岡城中心部への入り口である太鼓櫓跡、鐘櫓跡。切込接の技術が高いです。
紅葉と二の丸。空の青と紅葉の赤、それに石垣。最高の組み合わせ。
二の丸の滝廉太郎は夕日を浴びています。
二の丸の石垣。岡城の石垣は様々な種類があってみていて飽きない。
本丸。往時は御殿が建てられ、天守に相当する御三階櫓や角櫓、多聞櫓、金倉などが御殿を取り囲むように配置されていたとのこと。
さらに先に進んでみます。
夕方ということもあるのか、本丸より先には人がまったくいません。。
搦手である下原門。
下原門の東側の石垣は、石垣のずれを防ぐために石にほぞを切り、石をはめこむ「千切」という珍しい技術が使われているそうです。
ここからは戻って、近戸門や西の丸の方へ行きます。
賄方跡近くの道には、落ち葉が散ってさながら赤いじゅうたんのようです。
近戸門。
過信や領民の日常的な出入りに使用された通用門。ここからは七曲りと呼ばれるつづら折りの坂道が城下へ続いている。
屋敷跡を見ながら大手門の方へ戻っていきます。
ぐるっと回って戻ってきました、大手門。
一通り見て回って約2時間。
最後は城下を通って豊後竹田駅まで戻ってきました。
今回の岡城、スケールも壮大ですし、石垣も見どころがたくさん、さらに景色も雄大で素晴らしく言うことない山城です。広大な縄張りはお城好きなら何時間でもいられるような城と言っても過言ではないはず。いやーよかった。