雫井脩介の小説が原作です。
小説としては「火の粉」「犯人に告ぐ」あたりは読んでますが、「検察側の罪人」は未読です。映像化されたものはどれも見ていません。
わたくしキムタクがちょっと苦手なんですが、はてさてどうなんでしょう?
初日に見てみました。
あらすじ
都内で発生した殺人事件を担当することになった東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)と駆け出しの検事・沖野(二宮和也)。最上は複数いる容疑者の中から、すでに時効を迎えた未解決殺人事件の最重要容疑者であった松倉という男に狙いを定め、執拗に追い詰める。最上を師と仰ぐ沖野は、自白を引き出そうと取り調べに力を入れるが、松倉は犯行を否認し続けるばかり。やがて沖野は、最上は松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではと疑問を抱くように。二人の検事は、事件の審理を巡り互いの正義を賭けて対立する。
引用元:MovieWalker
感想
正義とは何なのか
木村拓哉演じる最上と二宮和也演じる沖野、このふたりが自らの信じる正義をぶつけ合い真っ向から対立するのが見ものです。
裕福な老夫婦が殺害される事件が発生し、その参考人のひとりとして、過去に荒川で発生した未解決事件の犯人ではないかとみなされていた松倉が浮上する。
その未解決事件は、最上が大学時代に暮らしていた寮の管理人の娘が殺害された事件。最上はすでに卒業した後だったがその少女は寮のアイドル的存在で、少女も最上を慕っていたようだ(最上の撮影したビデオを大切にしていたというセリフがあった)。殺害されたとき高校生で、最上の寮生活中は中学生くらいなので恋愛感情はなかったと思うが、たぶん妹のような感じでかわいがっていたものと考えられる。
松倉は荒川の未解決事件の被疑者として警察から尋問をうけていたが、自白が取れず結局放免され、事件は迷宮入りとなっていた。
沖野による老夫婦殺害事件の尋問において、松倉は荒川の未解決事件の犯人が自分自身であることを自白する。すでに時効が切れており、自白しても罰せられることはない。
最上は松倉の未解決事件の自白を聞き、老夫婦殺害の犯人として法的に罰しようとする。見ているこちらも最初は松倉のあやしい風貌や言動により、「こいつが犯人じゃないか?」と思ってしまうが、途中で実際には犯人が別人であると判明します。
最上はそれでも自説を曲げない。
最上にとっての「正義」は、少女を殺害した犯人へ罰を与えることなんです。
しかも求めているのは個人的な罰ではなく、司法による正当な罰です。
老夫婦殺害の真犯人である弓岡については最上が自分の手で殺害したにもかかわらず、松倉については司法として正当な手続きを経たうえで罰することができるように老夫婦殺害の犯人に仕立て上げようとしたんですよね。
この執念はすごいものがあります。
それだけ少女の死が無念だったということなんでしょう。
松倉の自白を聞いていた時の表情はそれがよく表れていました。
もしかすると、被疑者を弁護する弁護士ではなく、被疑者を裁こうとする検察官という職業を選んだきっかけになっているのかもしれません。
一方、沖野にとっての「正義」は、犯罪を犯した当人が法律に則って罰せられるべきである、というものです。
そのため、弓岡が犯人であるという証言や証拠が出てきても松倉犯人説を曲げない最上に疑いを持ち、最後には検察官を辞職し、松倉の国選弁護人のために動きます。
沖野の正義の方がまっとうで当たり前のように思えます。
わたしも映画を見ている間は沖野側よりの考えで見ていました。法律は守るべきもので、復讐のために法律をやぶるなんてとんでもない、と。
でも後から「本当にそうなのか?」と考えてしまいました。
映画の中では、松倉の過去の殺人については時効を迎えています。
最上にとってずっと探していた犯人・松倉に対して、法律に則っていたら何もできないもどかしさは、図り知れないものと想定できます。
自分が当事者だったら犯人に相応の罰を与えたいと考えるのは、不思議なことではないです。
最上も安直に考えて行動しているわけではないはずで、悩みに悩んだ末の行動だったんだと思うんですよね。この気持ちも分からなくはないです。
一方の沖野にとってはある意味、他人ごとです。数ある事件の中のひとつでしかないでしょうし。
橘のセリフにもありますが、100%の真実なんてものは存在せず、実際にはある人にとっての正義が、別の人にとっては正義ではなかったりするんですよね。
当事者かそうでないかで、同じ事象に対する正義が変わってしまうということですね。
絶対的な正義は存在しない、と。
いや何か難しい。
(ちなみに現在の日本の法律では、殺人罪などの法定刑の上限が死刑であるものについては時効が廃止されています。また廃止時点で時効が来ていないものについてもさかのぼって適用されるとのことです。ただ強姦致死罪や傷害致死罪についてはまだ時効があります。)
師弟関係
沖野は研修の教官を務めていた最上の言葉に感銘を受け、「最上流正義の継承者」と自称するほど最上を崇拝していました。
最上も沖野が成長できるよう、諏訪部の尋問に当たらせるなどチャレンジングな目標を課し、沖野に目をかけていました。
いわば師弟関係です。
それが、松倉の名前が捜査線上に上ってきたことで崩れてきます。
最上は、まだ若手で操りやすそうな沖野を主任検事とすることで、自分の思い通りに動かそうとします。
実際に、取り調べの内容を電話でこっそり聞いて、検察事務官のパソコンに指示を送るなどといったこともしている。
沖野の方もだんだんと最上のおかしな点に気づいてきます。(むしろ検察事務官である橘の方がよく気づいてるけど)
最上がどうにかして松倉を犯人にしようと自分のストーリーを語るシーンで、真実を知ることではなく、復讐を果たすことの方に重きを置いている最上に対して、沖野は「検事でいる意味がない」と言い放ち、検事を辞職します。
この時点ですでに目指すところが違ってきてしまっているんですよね。
ラストシーンでは、議員秘書で自殺した友人丹野から送られてきた収賄の証拠を沖野に見せ、高島議員の収賄を暴き法的に裁くことで正義を行おうと持ち掛けます。
でも沖野にとっての「正義」の意味が、最上の「正義」とは決定的に異なってしまっていて、もはや相容れられないんです。
完全に決裂してしまったことに対する沖野の悲痛な叫びが悲しいですね。
二宮和也の演技
沖野が松倉を取り調べするシーンに圧倒された。
松倉が過去の犯行を自白した後、沖野が松倉が老夫婦を殺害した犯人ではないかと問い詰めるシーンだ。
何としても自白させようとする沖野の気迫がみなぎっている。
発する言葉に強弱をつけ、緩急をつけ、追い込んでいく。
松倉を恫喝しながらも、自分の感情に飲み込まれず冷静に相手の出方はちゃんと見ている。
このシーンの二宮和也の演技がすごい、マジで圧倒された。
おわりに
原田眞人監督の作品って「関ケ原」もそうだったけど、セリフが早くって聞き取りづらい。セリフに集中しないといけないのは多少ストレスです。
キムタクはやっぱりキムタクなんですよね。苦手な感じは抜けないなぁ。
二宮和也がホントに良かったので、それ目当てで見に行ってもよいのではないでしょうか。