くろログ

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【旅】名護屋城/広大な敷地に130以上の諸大名の陣跡。スタンプ設置場所も。

今回は佐賀の名護屋城です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵で有名な城です。

アクセスやスタンプ設置場所、見どころなど書いていきます!

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名護屋城の歴史

天正19年(1591年)、豊臣秀吉は李氏朝鮮から服属を拒絶されると、名護屋に朝鮮出兵の前線基地として城の築造を九州の大名に命じる。

秀吉は自分の地元と同じ読みの地名を奇遇に感じ、城の立つ山の名前が勝男山と縁起がいいことにも気をよくし、この地への築城を決めたとされる。

築城に際しては、縄張りを黒田官兵衛、そして黒田長政、加藤清正、小西行長らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心の動員し、8ヶ月の突貫工事で文禄元年(1592年3月)に完成した。

規模は当時の城郭では、大阪城に次ぐ広壮なものであった。

本丸・二ノ丸・三ノ丸などを配し、本丸北西隅に望楼型五層七階の天守閣が築かれた。

城跡からは金箔を施した瓦が出土しており、天守に葺かれていたと考えられている。

城郭の周辺には各大名の陣屋が配置された。

名護屋城からは20万あまりの兵が高麗へ渡り、名護屋在陣は10万人ほど。総計30万あまりの兵で陣立された。

名護屋城の場所・アクセス

アクセス

唐津駅or西唐津駅からバス約40分、

「名護屋城博物館入口」下車徒歩5分

料金 -
営業時間

年中無休(城跡)

9:00~17:00(名護屋城博物館)

休業日

(名護屋城博物館)

月曜(休日の場合は翌日)

12月31日~31日

スタンプ設置場所

名護屋城博物館

※2020年12月現在。

名護屋城訪問記

中洲川端駅を5:54に出て、西唐津駅に7:28に到着。

唐津駅からは名護屋城に行けるバス停(大手口)が駅からちょっと離れているため、西唐津駅からバスに乗りました。西唐津駅前バス停は駅のすぐそばにあります。3分遅れで来た7:37発のバスで名古屋城へ向かいます。(バスの時刻検索は昭和バスのHPが事前の下調べに役立ちました。)

バスに揺られること約40分、名護屋城博物館入口バス停に8:18に到着。

まだ、名護屋城博物館は開館前なので、まずは周辺にある諸大名の陣屋跡を見てみます。

まずは前田利家陣跡。

名護屋城博物館入口バス停からは徒歩3分ほどの距離。

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石垣も修復され、比較的ちゃんとしたかたちで残されています。

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雪隠跡や池の跡なども発掘調査で判明しているとのこと。

しかしそれがどれなのかはわかりませんでした。。。

これは何だろう??

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なお、近くには小西行長陣跡もあるらしいですが、どこにあるかわからず。。

次は大谷吉継陣跡に行きます。

徒歩10分ほどで到着。

何と、看板だけ。中に入る入口どころか、中そのものがない様子。。

陣屋がここにあった、ということだけってこと?

前田利家との落差の激しさにちょっと落胆。大谷吉継好きなんだけどな。

まあ誰かが土地を所有していたりして、調査すら難しいのかもしれません。

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近くにある長宗我部元親陣跡も同じような感じ。看板のみ。

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伊達政宗陣跡は看板すらなし。

何が書いてあるか読めない石碑あり。なんの石碑かもわからず。

ちなみにGoogleMapには伊達政宗陣跡が2か所あって、こっちは違うのかな?

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続いて徳川家康陣跡。

こちらはそれなりにちゃんとしてる。

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解説もある。

隣にある保育園改築に伴って発掘調査が行われたとのこと。

堀跡、櫓台跡などが発見されています。

また徳川家康はこの本陣とは別に、名護屋湾をはさんだ対岸にも別陣を作っていたらしい。

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この辺りで名護屋城博物館の開館時間の9時を過ぎ、近辺に陣跡も少なくなってきたので名護屋城へ向かいます。

名護屋城の北東に位置する徳川家康陣跡まで行ってしまったことで、大手門から入るより真反対にある水手口から入ったほうが近いので、そちらから登城開始しました。

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城の全体像は以下の通り。

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水手口を入ってすぐ水手曲輪があります。

雨水を貯めていたと伝えられ、水に関する施設があったことが推察されています。

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続いて遊撃丸。

明国の講和使節(遊撃将軍)が滞在し、もてなしを受けた曲輪。

門の礎石が見つかってます。

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二ノ丸。

ここには石垣を昇り降りするための石段である「合坂」が見られる。

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長屋跡も見つかっている。

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次は二ノ丸から弾正丸を抜けた先にある搦手口。

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本丸の南側にある馬場。

その名の通り、ここで乗馬の訓練をしたと伝えられ、二ノ丸から三ノ丸へ至る重要な通路と考えられている。

馬場の途中には櫓も設けられていた。

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お次は三ノ丸。

大手口から本丸へ通じる重要な曲輪で、本丸周辺を警護する侍が詰めていたと考えられている。

城内の高台では唯一の井戸もあった。

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本丸へいたる石段。

本丸大手門があったとされており、伊達政宗がここの門を仙台の青葉城へ移設したという伝承もある。

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本丸に到着。

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天守台。

かつては五層七階の天守閣がたっていた。

初冬には対馬が望めるとのこと。

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呼子大橋も見える。

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名護屋城は築城後に何らかの理由で大規模な改造が行われています。

本丸でも、南側・西側への拡張に伴い埋められていた古い石垣を見ることができます。

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そして大手口。

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時間があればもっと陣跡を見たい気持ちなんですが、130を超える陣跡はさすがに全部回れません。。一番遠い島津義弘陣跡なんて3キロ以上離れてます。全部見て回るには1日がかりです。

なお130のうち23の陣跡が特別史跡として指定されています。(私が実際に見た前田利家、徳川家康の陣跡も特別史跡。やはりそれなり整備されてると特別史跡に指定されるのね。)

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スタンプは大手門近くの名護屋城博物館にあります。(立派な建物なのに、入城は無料。)

そしてこれまでにないほどにスタンプ押すのをミスる。。最悪。。

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帰りは名護屋城博物館入口バス停10:27発呼子行き乗合タクシー(マイクロバスみたいなやつ)で呼子まで行き、そこからバスに乗り継いで唐津駅まで帰りました。全然関係ないけど呼子は電車が通ってないので、バスが発達してるんですね。バスの待合所の案内図みたいなのがデカくてびっくりしました。

 

スケールがでかすぎて、秀吉はすごいことを考えるなと思わせられる城でした。