鳥取城に行って来ましたので、行き方や見どころ、スタンプ設置場所など紹介していきます。
鳥取城の歴史
江戸時代中頃、但馬山名氏によって築城された(可能性が高い)。
分かっているだけで、山中鹿介に2度、吉川元春に2度、羽柴秀吉に2度と合計6度の落城や力攻めによる落城があった。
特に羽柴秀吉による兵糧攻めは凄惨をきわめ、米を高値で買い占めたり毛利勢による搬入を阻止したりする一方、1,400の兵がこもる城に周囲の農民ら2,000人以上を追いやることで、瞬く間に飢餓に陥らせた。
城内の家畜・植物は食いつくされ、4週間もたつと飢餓者が続出、人肉を食うものさえ出たとされている。
この凄惨たる状況に城主吉川経家は自決と引き換えに開城した。
鳥取城は、廃城令で存城とされたものの、鳥取県が島根県に編入され県庁所在地(松江)以外に城は必要なしとの観点から、一部を残して解体された。
2006年から30年かけて、幕末期への姿へ復元する計画が進行している。
鳥取城の場所・アクセス
アクセス |
鳥取駅から100円循環バスくる梨「緑コース」で7分、 「仁風閣・県立博物館」下車すぐ |
料金 | - |
営業時間 | - |
休業日 | なし |
スタンプ設置場所 |
鳥取城跡内「仁風閣」 開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで) |
※2020年9月現在
鳥取城訪問記
鳥取城から100円で乗れる循環バスくる梨の緑に乗ります。
くる梨の運行間隔は20分。結構頻繁です。(参考:鳥取市HPくる梨時刻表)
「仁風閣・県立博物館」バス停を降りればすぐです。
城跡内に入るとすぐ西洋風の建物が見えてきます。
これが仁風閣です。
100名城のスタンプはこの中にあります。
ちなみに仁風閣に入るには観覧料が必要ですが、100名城スタンプだけ押させてもらうのであれば、観覧料は不要でした。(仁風閣の受付の人によるかもしれませんが。)
城の中に入っていきます。
すぐに中仕切門が見えてきます。
廃城令で解体されずに残っていたものの、1975年の台風で壊れてしまい、復元されています。
ここを上っていくと二の丸が見えてきます。
天球丸を目指して進みます。
表御門跡と書かれています。こちらが大手門だったようですね。
さらに進んでいくと、、見えてきました。
天球丸です。
名前の由来はこれが丸いからではなく、城主池田長吉の姉で若桜鬼ヶ城城主山崎家盛の夫人だった天球院が山崎家を去った後に居住していたことにちなみます。
江戸時代後期に石垣のたわみを防ぐために、球面を持つ巻石垣によって石垣下部が補強され、このような形になっています。このような巻石垣は港や河川の工事に用いられるのが主で、城郭の補強に用いられるのはきわめて珍しいとのことです。
天球丸は上からも見れます。
本丸はこの上にあるということでしたが、今回はちょっとやめておきました。。
石垣が素晴らしいです。これ↓は天球丸のちょうど裏側です。
城内はこれくらいにして、城の外から眺めてみます。
堀には水が満々とたたえられてます。
少し行くと吉川経家の像がありました。
吉川経家が責任を取って自害しようとした際、秀吉は経家の奮戦をたたえ自害させないように取り計らったものの、経家はそれを拒否しました。
自害後、経家の首は秀吉のもとに送られましたが、それを見て秀吉は男泣きしたとも言われています。
それほど勇猛で責任感のある武将だったということでしょう。
という訳で鳥取城でした。
男気ある吉川経家が城主として入った城を見れたことは何よりでした。
石垣が見事でしたし、城としては珍しい巻石垣の天球丸を見られてよかったです。