くろログ

海外ドラマや映画、旅行の感想・記録など気の向くままに書いてます。

【旅】佐賀城/現存の鯱の門と新しい本丸御殿の対比がいい。スタンプ設置場所も。

今回は佐賀城。

アクセス、スタンプ設置場所について書きます。

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佐賀城の歴史

佐賀城はもともと龍造寺氏が居城としていた村中城を改修・拡張したものである。

堀は石垣ではなく、土塁で築かれている。

平坦な土地にあるため、城内が見えないよう土塁には松や楠などが植えられ、城が樹木の中に沈み込んでいることや、かつては幾重にも外堀を巡らせ、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。

明治初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが現存し、国の重要文化財となっている。

享保11年(1726年)に焼失した天守は、小倉城並かそれよりわずかに大きい規模ではないかと推測されている。

現在の本丸御殿は2004年に復元された。

佐賀城の場所・アクセス

アクセス

佐賀駅からバス約10分、下車すぐ

料金 -
営業時間 9:30~18:00
休業日 12月29日~31日

スタンプ設置場所

本丸御殿内

※2020年12月現在。

佐賀城訪問記

佐賀駅から佐賀城へ向かいます。

佐賀駅からだと徒歩で30分くらいかかりますので、できればバスに乗っていきたいところ。私が行ったときは、佐賀駅バスセンターからちょうど出発する時間でしたので、バスに乗って佐賀城へ行きました。

バス停降りるとすぐです。

きれいに整備されています。中央左に見える建造物は現存の続櫓。

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鯱の門と続櫓を正面から見てみます。

鯱の門には佐賀の乱の時の弾痕が今も残っているとのことです。現存の風格が漂ってますねぇ。

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反対側(本丸内)からも。

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鯱の門をくぐるとすぐに本丸御殿が見えます。

この本丸御殿は、鍋島直正が天保期に再建したものを2004年に復元したものです。

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さて本丸御殿の中に入ってみましょう。入場は無料です。

100名城スタンプも入口入ってすぐのところに設置してあります。

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中はこんな感じで、まだまだ新しいです。

ちなみにこの日は本丸御殿の中で高校生のイベントをやっていました。

幕末維新期の佐賀をテーマに佐賀藩の偉人や科学技術について紹介されていました。

偉人を漫画で紹介するなど、若い人にも受け入れられるような感じになっていました。

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御殿そばにはアームストロング砲がありました。

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少し離れた場所にはカノン砲も。

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続いては、本丸を抜けて天守台の方に行ってみます。

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かつては五層の天守閣が築かれていたとのこと。

ちなみに本丸からは天守閣には上がれず、二の丸から入るようになっていたらしい。

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行きはバスで来ましたが、帰りは時間が合わなかったので、歩いて佐賀駅まで帰ります。

途中佐嘉神社がありました。

ここは佐賀藩10代藩主鍋島直正と11代鍋島直大を祀っています。

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と言うわけで佐賀城でした。

江戸時代(天保9年:1838年)から現存する鯱の門と、平成になってから復元された本丸御殿の新旧の融合が見られるのは、なんとも感慨深いものですね。

是非佐賀城訪れてみてはどうでしょう。

【旅】唐津城/唐津湾に面する海城。スタンプ設置場所も。

佐賀の唐津城。

アクセスやスタンプ設置場所について書いていきます。

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唐津城の歴史

 豊臣秀吉の家臣・寺沢広高が慶長7年(1602年)より築城を開始し、慶長13年(1608年)に完成した。築城に際しては、東唐津側と陸続きであった満島山を切り離し松浦川がそこから唐津湾にそそぐよう流路を変更した。秀吉の死後は廃城となった名護屋城の遺材を使用し、築城を行った。

天守閣は建築されず、天守台のみが存在していた。

寺沢広高は、土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行い、これが日本三大松原のひとつ虹の松原として残っている。

明治4年(1871年)には廃藩置県により廃城となり、建造物が解体された。

現在建てられている5層5階模擬天守は昭和41年(1966年)に建てられたもので、門・櫓も同時に再建された。

唐津城の場所・アクセス

アクセス

唐津駅から徒歩約20分

料金 500円
営業時間 9:00~17:00
休業日 12月29日~31日

スタンプ設置場所

唐津城天守閣

※2020年12月現在。

唐津城訪問記

唐津駅から唐津城を目指します。

途中、唐津神社を経由しました。(上の地図とは経路が違ってしまってますが)

結構大きい神社。この唐津神社は寺沢広高により再建されたものです。

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やっと見えてきました。唐津駅からは結構歩きます。

下に見えているのは、早稲田佐賀中高の建物(二の丸御殿後に建てられている)。

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城内に入っていくとまずは階段です。

この階段を上らなくても有料(100円)のエレベーターも設置されてます。

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もう少し上ります。紅葉がいい感じ。

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広場に到着。

唐津城は桜・藤の名所で、4・5月になると見頃ということです。

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天守のすぐ下まで来てみます。修復中の模様。

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天守内に入ります。

唐津藩の歴史資料や唐津焼について展示されてます。100名城スタンプもここで。

最上階の展望エリアから海の方を見ると、島が見えます。(右の大きいのが高島、左の小さいのが鳥島。左に見切れているのは島ではなく陸続きの半島です。高島には宝くじがよく当たるといわれる宝当神社があり、帰る途中の高島への船乗り場にたくさんの人が並んでいました。)

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天守を降りて、エレベーター乗り場の方からも写真とります。

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帰りは行きとは違う方から帰ってみようと思い、東唐津方面へ向かうべく舞鶴橋を渡ります。

舞鶴橋から振り返って見た唐津城。

ここが当時寺沢広高によって人口的に作られたとは思えないくらい広い河口です。

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最後に今度は少し上流の松浦橋からの唐津城。

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と言うわけで唐津城、海に天守が映えますね。

(海方向から見てないから正確には川に映えますね、だけど)

【旅】名護屋城/広大な敷地に130以上の諸大名の陣跡。スタンプ設置場所も。

今回は佐賀の名護屋城です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵で有名な城です。

アクセスやスタンプ設置場所、見どころなど書いていきます!

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名護屋城の歴史

天正19年(1591年)、豊臣秀吉は李氏朝鮮から服属を拒絶されると、名護屋に朝鮮出兵の前線基地として城の築造を九州の大名に命じる。

秀吉は自分の地元と同じ読みの地名を奇遇に感じ、城の立つ山の名前が勝男山と縁起がいいことにも気をよくし、この地への築城を決めたとされる。

築城に際しては、縄張りを黒田官兵衛、そして黒田長政、加藤清正、小西行長らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心の動員し、8ヶ月の突貫工事で文禄元年(1592年3月)に完成した。

規模は当時の城郭では、大阪城に次ぐ広壮なものであった。

本丸・二ノ丸・三ノ丸などを配し、本丸北西隅に望楼型五層七階の天守閣が築かれた。

城跡からは金箔を施した瓦が出土しており、天守に葺かれていたと考えられている。

城郭の周辺には各大名の陣屋が配置された。

名護屋城からは20万あまりの兵が高麗へ渡り、名護屋在陣は10万人ほど。総計30万あまりの兵で陣立された。

名護屋城の場所・アクセス

アクセス

唐津駅or西唐津駅からバス約40分、

「名護屋城博物館入口」下車徒歩5分

料金 -
営業時間

年中無休(城跡)

9:00~17:00(名護屋城博物館)

休業日

(名護屋城博物館)

月曜(休日の場合は翌日)

12月31日~31日

スタンプ設置場所

名護屋城博物館

※2020年12月現在。

名護屋城訪問記

中洲川端駅を5:54に出て、西唐津駅に7:28に到着。

唐津駅からは名護屋城に行けるバス停(大手口)が駅からちょっと離れているため、西唐津駅からバスに乗りました。西唐津駅前バス停は駅のすぐそばにあります。3分遅れで来た7:37発のバスで名古屋城へ向かいます。(バスの時刻検索は昭和バスのHPが事前の下調べに役立ちました。)

バスに揺られること約40分、名護屋城博物館入口バス停に8:18に到着。

まだ、名護屋城博物館は開館前なので、まずは周辺にある諸大名の陣屋跡を見てみます。

まずは前田利家陣跡。

名護屋城博物館入口バス停からは徒歩3分ほどの距離。

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石垣も修復され、比較的ちゃんとしたかたちで残されています。

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雪隠跡や池の跡なども発掘調査で判明しているとのこと。

しかしそれがどれなのかはわかりませんでした。。。

これは何だろう??

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なお、近くには小西行長陣跡もあるらしいですが、どこにあるかわからず。。

次は大谷吉継陣跡に行きます。

徒歩10分ほどで到着。

何と、看板だけ。中に入る入口どころか、中そのものがない様子。。

陣屋がここにあった、ということだけってこと?

前田利家との落差の激しさにちょっと落胆。大谷吉継好きなんだけどな。

まあ誰かが土地を所有していたりして、調査すら難しいのかもしれません。

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近くにある長宗我部元親陣跡も同じような感じ。看板のみ。

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伊達政宗陣跡は看板すらなし。

何が書いてあるか読めない石碑あり。なんの石碑かもわからず。

ちなみにGoogleMapには伊達政宗陣跡が2か所あって、こっちは違うのかな?

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続いて徳川家康陣跡。

こちらはそれなりにちゃんとしてる。

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解説もある。

隣にある保育園改築に伴って発掘調査が行われたとのこと。

堀跡、櫓台跡などが発見されています。

また徳川家康はこの本陣とは別に、名護屋湾をはさんだ対岸にも別陣を作っていたらしい。

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この辺りで名護屋城博物館の開館時間の9時を過ぎ、近辺に陣跡も少なくなってきたので名護屋城へ向かいます。

名護屋城の北東に位置する徳川家康陣跡まで行ってしまったことで、大手門から入るより真反対にある水手口から入ったほうが近いので、そちらから登城開始しました。

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城の全体像は以下の通り。

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水手口を入ってすぐ水手曲輪があります。

雨水を貯めていたと伝えられ、水に関する施設があったことが推察されています。

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続いて遊撃丸。

明国の講和使節(遊撃将軍)が滞在し、もてなしを受けた曲輪。

門の礎石が見つかってます。

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二ノ丸。

ここには石垣を昇り降りするための石段である「合坂」が見られる。

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長屋跡も見つかっている。

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次は二ノ丸から弾正丸を抜けた先にある搦手口。

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本丸の南側にある馬場。

その名の通り、ここで乗馬の訓練をしたと伝えられ、二ノ丸から三ノ丸へ至る重要な通路と考えられている。

馬場の途中には櫓も設けられていた。

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お次は三ノ丸。

大手口から本丸へ通じる重要な曲輪で、本丸周辺を警護する侍が詰めていたと考えられている。

城内の高台では唯一の井戸もあった。

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本丸へいたる石段。

本丸大手門があったとされており、伊達政宗がここの門を仙台の青葉城へ移設したという伝承もある。

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本丸に到着。

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天守台。

かつては五層七階の天守閣がたっていた。

初冬には対馬が望めるとのこと。

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呼子大橋も見える。

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名護屋城は築城後に何らかの理由で大規模な改造が行われています。

本丸でも、南側・西側への拡張に伴い埋められていた古い石垣を見ることができます。

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そして大手口。

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時間があればもっと陣跡を見たい気持ちなんですが、130を超える陣跡はさすがに全部回れません。。一番遠い島津義弘陣跡なんて3キロ以上離れてます。全部見て回るには1日がかりです。

なお130のうち23の陣跡が特別史跡として指定されています。(私が実際に見た前田利家、徳川家康の陣跡も特別史跡。やはりそれなり整備されてると特別史跡に指定されるのね。)

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スタンプは大手門近くの名護屋城博物館にあります。(立派な建物なのに、入城は無料。)

そしてこれまでにないほどにスタンプ押すのをミスる。。最悪。。

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帰りは名護屋城博物館入口バス停10:27発呼子行き乗合タクシー(マイクロバスみたいなやつ)で呼子まで行き、そこからバスに乗り継いで唐津駅まで帰りました。全然関係ないけど呼子は電車が通ってないので、バスが発達してるんですね。バスの待合所の案内図みたいなのがデカくてびっくりしました。

 

スケールがでかすぎて、秀吉はすごいことを考えるなと思わせられる城でした。

【旅】岡城/滝廉太郎「荒城の月」のモデルとなった城。スタンプ設置場所も。

大分県の岡城。 

アクセスやスタンプ設置場所、見どころなど書いていきます。

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岡城の歴史

緒方惟義が源義経を迎えるために文治元年(1185年)に築城したことが始まりとされる。

天正14年(1586年)の豊薩戦争では島津氏の大軍が岡城を攻撃するが、当時18歳の城主志賀親次により撃退される。志賀親次はこの戦功により豊臣秀吉から感状を与えられた。島津軍は3度の攻撃を行ったもののことごとく撃破されたため、岡城は難攻不落の城と天下にその名をとどろかせた。

文禄2年(1593年)、文禄の役での大友義統の失策により大友氏が領土を没収されたことに伴い、大友氏重臣の志賀氏も岡城を去る。翌年中川秀成が三木より移封され、入城後3年かけて大規模な修復を行った。この修復では総石垣の城となり、本丸をはじめとした主要な曲輪、大手門などの登城口が完成した。

岩盤の台上に気づかれたため、たびたびの台風や地震・火事やなどの被害を受け、特に明和8年(1771年)には本丸を含む城の大半を焼失する大火が起きている。明治維新後、廃城令によって廃城とされ、城内の建造物はすべて破却されている。

岡城の場所・アクセス

アクセス

豊後竹田駅から徒歩約25分

料金 300円
営業時間 9:00~17:00
休業日 12月31日~1月3日

スタンプ設置場所

観覧料徴収所(総役所跡)

※2020年12月現在。

岡城訪問記

豊後竹田駅からスタートします。

まずは観光案内所に寄って、パンフレットをゲット。

観光案内所には猫がいました、ニャー駅長だそうです。

ピクリとも動かないので、最初は置物かと思ったくらい。

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パンフレットを見ると何やら「歴史の道」なるものがあるとのことで、そこを通って岡城まで向かいます。

途中にはこんな感じで、歴史?感じる階段もあったりします。

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こんな建物もありました。

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さらに進むと広瀬神社(の鳥居)もあります。

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途中ではトンネル通ったりして歩くこと約30分、歴史の道を通ると遠回りなので余計に時間がかかりましたが、到着しました。

入り口で入城料300円払い、100名城スタンプももらっていざ登城です。

大手門に続く坂道は雰囲気いいです。12月で紅葉も終わりかけだとは思いますが、所々赤や黄色に色づききれいでした。

ちなみに大手道にはアーチ状の石垣、通称「かまぼこ石」があります。

このかまぼこ石、岡城以外では見られず、製作技法も謎なんです。

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坂を上ると大手門です。

デカくて迫力あります。

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大手門のちょっと先から本丸の方を眺めてみます。

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岡城と言えばここ!みたいな写真撮りたかったんだけど、ちょっと違うかな。。三の丸から。

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岡城中心部への入り口である太鼓櫓跡、鐘櫓跡。切込接の技術が高いです。

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紅葉と二の丸。空の青と紅葉の赤、それに石垣。最高の組み合わせ。

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二の丸の滝廉太郎は夕日を浴びています。

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二の丸の石垣。岡城の石垣は様々な種類があってみていて飽きない。

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本丸。往時は御殿が建てられ、天守に相当する御三階櫓や角櫓、多聞櫓、金倉などが御殿を取り囲むように配置されていたとのこと。

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さらに先に進んでみます。

夕方ということもあるのか、本丸より先には人がまったくいません。。

搦手である下原門。

下原門の東側の石垣は、石垣のずれを防ぐために石にほぞを切り、石をはめこむ「千切」という珍しい技術が使われているそうです。

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ここからは戻って、近戸門や西の丸の方へ行きます。

賄方跡近くの道には、落ち葉が散ってさながら赤いじゅうたんのようです。

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近戸門。

過信や領民の日常的な出入りに使用された通用門。ここからは七曲りと呼ばれるつづら折りの坂道が城下へ続いている。

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屋敷跡を見ながら大手門の方へ戻っていきます。

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ぐるっと回って戻ってきました、大手門。

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一通り見て回って約2時間。

最後は城下を通って豊後竹田駅まで戻ってきました。

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今回の岡城、スケールも壮大ですし、石垣も見どころがたくさん、さらに景色も雄大で素晴らしく言うことない山城です。広大な縄張りはお城好きなら何時間でもいられるような城と言っても過言ではないはず。いやーよかった。

 

【旅】中津城/築城の名手・黒田官兵衛が築城した海城。スタンプ設置場所も。

大分県にある中津城。

アクセス方法や続100名城スタンプの設置場所等について書いていきます。

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中津城の歴史

中津城は、黒田官兵衛(孝高・如水)が築城し、細川忠興が完成させた城。

中津川の河口に築城され、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城のひとつでもある。

廃藩置県や西南戦争ですべての建物が失われており、現在は模擬天守が建てられているが、当時天守が存在していたかは定かでない。なお、模擬天守の外観は萩城天守をモデルに作られている。(ちなみに模擬天守を含む建築物は、2011年より埼玉県の一般企業が所有している。)

黒田家が普請した石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古のものである。なお、模擬天守北面下には、黒田家の石垣に細川家が石垣を継いだ境を見ることができる。

中津城の場所・アクセス

アクセス

中津駅から徒歩約15分

料金 400円
営業時間 9:00~17:00
休業日 -

スタンプ設置場所

中津城天守内

※2020年12月現在。

中津城訪問記

小倉から特急ソニックに乗り12時少し前に中津駅で降りる。

商店街っぽい雰囲気漂う道を通り、15分ほど歩くと見えてきたのは鳥居と城のコラボ。

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鳥居は中津城のすぐ隣にある中津神社のもの。

意外と天守の外観は立派。サマになってます。

訪れた時は偶然にもテレビの撮影をやっており、椿鬼奴とキスマイの宮田がいた。

(下の写真の下中央付近にちらっと映ってる赤いのが鬼奴。鬼奴の手前が宮田)

 

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ちなみに、私は宮田の方はまったく気づかず、鬼奴が名前を呼んだので気づいた次第。

写真を撮ろうとしたのか、おじさんがスマホを持ち上げたところ、スタッフらしき人に「やめてください」と注意されていた。

チッ、別に鬼奴の写真を撮ろうと思ってねーよ。城を写したいんだ。

と、おじさんが思ったかどうかはわからないが、撮影のせいで天守内に入れないのにはちょっと困った。

中に入れないのでまずは城の周りから。

模擬天守とはいえ、黒い下見板張りがカッコいい。

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河口側からも。

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天守の北面には、黒田官兵衛が普請した石垣に、細川家が石垣を継いだあとを見ることができる(写真の左上に模擬天守がある)。

右側が黒田家が作った石垣、左側が細川家が延長した石垣。

(ちょうどyの字の形になっている境界がよくわかる。)

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なぜ内側に延長したようになっているのかと言うと、当時の本丸は川側にあったという理由のため。(そもそも当時天守があったかも定かではない。)

 

もうそろそろ撮影も終わったころかと天守内に向かう。

1階で続100名城スタンプをいただき、天守内を見て回る。

天守内では城主奥平家の資料・家宝が展示されている。

徳川家康から贈られたとされる白鳥鞘の鑓(やり)や、長篠の戦いで使用されたほら貝、長篠合戦図などがある。

 

ちなみに天守最上階から見たら別の場所で撮影していた。

(右側の赤いのが鬼奴。え、鬼奴はもういいって?)

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【旅】本佐倉城/想像力をかきたてられる城。スタンプ設置場所も。

今回は千葉の本佐倉城。

アクセスや続100名城スタンプ設置場所について書いていきます。

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本佐倉城の歴史

文明年間に千葉輔胤が下総国を平定した際に新たな本拠として本佐倉城を築城した。

その後9代にわたって千葉氏の本拠地であったが、小田原征伐後の天正18年(1590年)に千葉氏が改易されると、徳川氏に接収、いったんは破却された。

その後慶長15年(1610年)に軍事上の必要から小笠原吉次、土井利勝が本佐倉城に再び入り、佐倉藩の藩庁が置かれた。

元和元年(1615年)、藩庁が佐倉城に移されたことと一国一城制により本佐倉城は廃城となった。

土塁や空堀などの遺構はほぼ完全な形で残されている。

本佐倉城の場所・アクセス

アクセス

大佐倉駅から徒歩約10分

料金 -
営業時間 -
休業日 -

スタンプ設置場所

・京成大佐倉駅(改札外)

・酒々井町中央公民館

※2020年11月現在。

本佐倉城訪問記

今回は京成線の大佐倉駅から本佐倉城へ行きました。

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別ルートとしては、JR酒々井駅からくることもできます。ただし徒歩30分くらいはかかりそうです。また、スタンプを酒々井町中央公民館で押すことにする場合は、さらに10分くらいは追加でかかると思われます。

京成大佐倉からの場合、スタンプは駅にありますので、途中寄り道は不要です。

ただしスタンプがめっちゃ薄いです。別の紙にいったん押してどのくらい写るか試した方がよいです。私は力いっぱい押しても薄かったです。。

大佐倉駅から本佐倉城までは特に迷うような複雑な要素もありません。

駅前には城までのこんな感じで地図もあります。

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また道中には以下のように道案内の看板もありますので、簡単に行けてしまいます。

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駅から10分ほどで東光寺ビョウに到着します。

この先に東山虎口と南奥虎口があります。

ちなみに南奥虎口の方は木が生い茂っていて、そこから入れるなんて思いもしないような感じでした。(帰りはぐるっと回って南奥虎口からでてきたので、実際には入ることができます。)

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なお、この時点では持っていませんでしたが、駐車場においてあるパンフレットに記載されているルートで巡りました。

パンフレットのルートはこんな感じで非常にわかりやすくて、本佐倉城をめぐるには必携です。大佐倉駅から向かう方はまずはこのパンフレットを入手すべく駐車場を目指すのがよいと思います。(駐車場は地図の東山馬場にあります。)

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東光寺ビョウを右手に見ながら進んでいくと東山虎口が見えてきます。

パンフレットや案内板には門があったであろう場所の記載があり、当時はそうだったのか~と思いを馳せながらめぐります。

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東山虎口を抜けると、矢を防ぐための矢盾がならべられた場所に出ます。

矢盾には千葉氏の家紋である月星紋が描かれています。

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さらに奥に進むとⅣ郭虎口(よんかくこぐち)に出ます。

一見何もないようなところですが、ここにも塀跡や門跡が見つかっているとのこと。

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続いて大堀切。

城山と奥ノ山を分ける堀切で高低差は6mもあるとのこと。

スロープを登り切ったところに門跡があり、塀もあったと考えられています。

大堀切の左側が城山、右側が奥ノ山です。

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今度は城山の方へ向かいます。

城山通路を通っていきます。

城山通路は城山への唯一の通り道で当時は砂で舗装されていたようです。

けっこう勾配が急で蛇行しているので登りづらいです。

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城山通路を抜けると城山虎口に突き当たります。

ここにも門跡があり、城山に入るための出入り口となっていました。

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城山には、主殿や茶室、櫓などがあったと考えられています。

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引き返して奥ノ山の方に行ってみます。

奥ノ山には発掘調査で妙見宮の跡と思われるものが見つかっており、ここで元服したようです。

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奥ノ山の奥には倉跡も見つかっています。

炭化した米が見つかったため、倉が立っていたと考えられています。

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ここでいったん城をおります。

結構な急斜面に階段が設置されています。

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さらに進むと、妙見神社があります。

遠目から鳥居と柿の実を一緒に写真に収めてみました。

妙見様は千葉氏の守護神とのことです。

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ちょっと城の外側から城を見てみます。

こちらが城の全体像。

右側が城山、真ん中あたりが奥ノ山で、左側はセッテイ山です。

(左の方に妙見神社の鳥居が小さく見えますが、そこから城を出てきました。)

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さて城の方に戻ります。

時計回りに回って城に入り、南奥虎口をでて東光寺ビョウに向かいます。

右側がセッテイ山。

竹が倒れていてかなり通りづらいです。

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倒竹を抜けるとセッテイ空堀があります。

写真だとわかりづらいですが、本佐倉城で最も大規模な空堀で、高低差はなんと16mもあるとのことです。

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どんどん進むとセッテイ虎口に出ます。

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セッテイ虎口を抜けると、倒木や草、落葉に覆われて道がかなり分かりづらい。。

私の前を行っていた人は、道がないと思ったのか引き返してきていきました。

そんな中を草をかき分け進むと、竹林の小径(こみち)に出ました。

ここは多少開けています。

ここに生えている金明竹は、節と節の間に緑と薄い黄色が縞模様のように表れた竹で、この辺りだけに群生しているとのことです。

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道なき道を進むと、やっと出ました南奥虎口。

(写真ブレブレすみません。。)

南奥虎口には木戸跡や通路跡が見つかっており、城の玄関口になっていました。

奥に見えるのが東光寺ビョウです。

ぐるっと一周してきました。とはいえそんなに時間がかかった訳でもなく、1時間くらい。

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ちなみに南奥虎口を東光寺ビョウからみるとこんな感じ(下)

どこに出入り口があるのか、さっぱりわかりません。

(実際には写真右奥、ちょっと奥まったところから出てきました。)

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まったく期待せずにふらっと行った城だったんですが、かなりいいお城でした。

パンフレットや案内板も充実していて、ここに門があったのかとか、ここを城主が歩いていたのか、など想像力をかきたてられるお城でした。天守はなくとも大満足のお城です。

 

【旅】新高山城/山頂からの眺望が見事な山城。スタンプ設置場所も。

今回は続100名城の新高山城です。

アクセスやスタンプ設置場所、訪問記を書いていきます。

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新高山城の歴史

小早川隆景によって天文21年(1552年)に築かれた城。

慶長元年(1596年)に三原城に移すまでここが小早川家の本拠であった。

永禄4年(1561年)に毛利元就・隆元が新高山城を訪城し、数日間滞在した記録が小早川家の文書に残っている。

三原城の築城や修復の際に石垣などを持ち去ったため、遺構はあまり残っていないが、櫓跡・菩提寺跡などが残存している。

小早川隆景が三原城に移った後は廃城となった。

新高山城の場所・アクセス

アクセス

登山口までは本郷駅から徒歩約20分、

登山口から山頂まで徒歩約30分

料金 -
営業時間 -
休業日 -

スタンプ設置場所

本郷生涯学習センター

※2020年11月現在。

新高山城訪問記

まずはJR山陽本線本郷駅から続100名城のスタンプをゲットしに、本郷生涯学習センターへ向かいます。

駅から徒歩5分ほどまっすぐ歩けば本郷生涯学習センターの一際大きな建物が見えてきます。スタンプとともに新高山城のパンフレットもゲット!

 

改めて新高山城を目指します。

本郷生涯学習センターからは、歩いて20分くらい。がんばっていきましょー。

川(沼田川)を渡る必要があるので、学習センターからは少し戻ります。

橋を渡っていると親切にもこんな看板が!これなら迷いません。

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川を渡ってすぐ右の道に入って川に沿って歩いていきます。

途中には「新高山小早川城址道」という石碑もありました。

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橋を渡ってから10分ほど歩くと、大手道入口の看板も見えてきます。

(ちなみにここが上の地図のCの地点です。ここからはほぼ登山なのでグーグルマップで表示できません。)

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大手道入口からは数分で登山口です。

新高山城の看板とともに、竹の杖が置いてあります。足元不安であればぜひ持っていきましょう。(わたしは持っていかなかったんですが、後々後悔しました。。)

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山道を登ること10分ほど。

本当にこの道で間違ってないのか不安になりかけていた頃、見えてきました。鐘の段。櫓の跡らしいです。

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さらに上り続けると、小早川家の菩提寺である匡真寺跡もありました。

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さらには中の丸(二の丸)跡。

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本丸跡も。ここまで来るのも結構しんどい。。

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ちなみにこのあたりから日が暮れかけていまして、無事に下山できるか相当心配していました。山の中で日が暮れちゃったら明かりもないので、真っ暗で絶対に帰れない自信がありました(笑)

そんな心理状態だったせいか、この少し先にある詰の丸やそこからの眺望、釣井の段など絶対に見るべきポイントを逃してきてしまいました。。無念。。

タイトルに山頂からの眺望が見事!とか書いておきながら本人は現地では見てないことは内緒にしといてください。

 

というわけで新高山城でした。

公共交通機関を利用する方は結構ハードな行程になりますので、その点も含めて是非とも余裕を持った登城計画を立てましょう(自分への戒めも込めて)。

【旅】三原城/駅から天守台跡へ入れる城。100名城スタンプ設置場所も。

三原城に行ってきました。

100名城スタンプの設置場所についても書いておきます。

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三原城の歴史

永禄10年(1567年)に毛利元就の三男・小早川隆景によって建て始められたと言われる。

当時は櫓が32、城門が14もあるとても大きな城で、特に天守台の大きさは一説では日本一ともいわれ、広島城の天守閣6つが入るほどの大きさでした。

満潮時にはあたかも海に浮いているように見えることから、浮城とも呼ばれる。

ただし、天守閣は一度も建てられたことはない。

 

三原城の場所・アクセス

アクセス

三原駅北口から徒歩1分

料金 -
営業時間 -(天守台入場は6:30~22:00まで)
休業日 -

スタンプ設置場所

・三原観光協会

・三原市歴史民俗資料館

※2020年10月現在。

三原城訪問記

三原城はおもしろいことに、天守台へ上がるためだけの出口が存在します。

天守台に上がってみるとこんな感じ。(いまいち天守台に上がった感がないけど。)

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最初は天守台への出口が、ここに上るためだけだとは知らず、天守台から外に出る道を探してしまいました。よく考えてみれば堀に囲まれているので、外には出られず、本当に天守台に上がることのみに使われている出口でした。城に興味がない人はおそらく絶対に行かない場所だと思います。

この天守台を周りからも見てみました。

北東の方の石垣。

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こっちは北西側の石垣。

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ちょっとわかりづらいかもしれませんが、北東側と北西側で隅石の積み方が異なるんですよ。北東側は、角の石に関して、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせ積んでいく算木積みですが、北西側はそうはなっていません。

なぜかというと、これは石垣を作った時代の違いです。

長短を交互に組み合わせていないほうの北西側は小早川隆景時代の石垣であり、北東側は関ヶ原の戦い後に城主となった福島正則が気づいたと考えられています。

積み方の進化をここで一緒に見ることができるっていうのは、なんとも面白いですね。

 

ちなみに、こんな感じで駅の下のほうまで石垣が入り込んでいます。

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本当は船入櫓跡や中門跡などもあるんですが、電車の時間の関係で今回省略しちゃいました。

次回行く際はぜひ見てこようと思います。

 

なお、100名城スタンプは駅ビル内の三原観光協会が駅から徒歩1分かからず行けるので便利です。

 

【旅】福山城/駅のホームから見える近世城郭。アクセスやスタンプ設置場所も。

今回は福山城。

アクセスやスタンプ設置場所についても書いていきます。

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福山城の歴史

西国鎮護の拠点として1622年に完成した城で、大規模な新規築城による近世城郭としては最後のもの。

伏見櫓は伏見城から移築したもので、天守を除けば熊本城宇土櫓と並び現存する最古の櫓のひとつである。

1873年に廃城となり多くの建造物の払い下げ・取り壊しが実施されていたが、自治体の請願により天守・伏見櫓・筋鉄御門・御湯殿・鐘櫓は残されることとなった。しかし、1945年の第二次世界大戦の空襲により伏見櫓と筋鉄御門を残して焼失してしまっている。

その後1966年に天守・御湯殿・月見櫓が再建され現在に至っている。

福山城の場所・アクセス

アクセス

福山駅北口から徒歩5分

料金 200円
営業時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
休業日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日~31日

スタンプ設置場所

福山城天守閣入口

※2020年10月現在。

 なお2020年8月~2022年8月初旬ごろまで天守閣休館中。

 ただし休館中も100名城スタンプは天守閣隣の事務所にて押すことが可能。

福山城訪問記

福山に向かう電車の中では雨が降っていたのですが、福山駅を降りたらちょうど雨は上がっていました。

福山城は福山駅で電車を降りるとすぐです。駅のホームからも見えてしまうほど近いです。

駅を出るとすぐにどどーんと石垣が見えます。

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城内に入るべく進んでいくと見えてきました、現存の伏見櫓です。

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階段を上り切ると伏見櫓の全体を見ることができます。

徳川家康の建てた伏見城松の丸の東櫓を移築したもので、慶長6年(1601年)前後に作られたということです。

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さらに進むと筋鉄御門が見えてきます。これまた現存です。

名称のとおり、1階の扉などに筋状の鉄板が打ち付けられているとのこと。

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さらに進んでいきます。

天守が見えてきました。

天守は空襲で焼けてしまったため再建ですが、いい感じです。

(ちょっと木がじゃまだけど。。)

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なお、わたしが訪れたときはリニューアルのためのちょうど長期工事に入ったところで、天守内に入ることができませんでした。

ただし100名城のスタンプに関しては、長期工事中でも隣にある事務所で押すことができました(普段は天守内で押せるようです)。

別角度から見た天守も石垣と相まって思いがけずいい雰囲気でした。

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とはいえこの天守、古写真等昔の資料がそれなりに残っていたにも関わらず、史実より現代的な美観を優先したり、建築基準法に従ったりしたことで、多くの箇所が昔の姿とは異なっているということらしい。(第二次世界大戦で焼失したのちに再建された天守の中で最も不正確な姿での再建ともいわれています。)

焼けてしまうまでは天守建築の完成形として高く評価され、松本城や姫路城と同じく国宝として指定されていたことを考えると、少し残念ではあります。(ちなみに2020年~2022年までの工事では、昔の姿に近づけるための工事ということです。)

 

駅から徒歩30分とかがざらにある100名城(続も含めて)を考えると、拍子抜けするくらい駅から激近の福山城。

スタンプ押すにはもってこいの城ですね。

リニューアル工事が完成したらまた来たいと思います。

【旅】岡山城/漆黒の天守が美しい城。アクセス・スタンプ設置場所も。

岡山城に行ってきました。

歴史やアクセス・スタンプ場所について書いていきます。

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岡山城の歴史

豊臣五大老のひとり、宇喜多秀家が建造した城。

本丸の北東には郭がなく非常に無防備であるため、近くを流れる旭川の流れを変え、東側の天然の堀として利用した。また、北側については郭の代わりに後楽園が築かれたともされている。

天守は不等辺五角形をした三層六階建てで、黒い下見板張りの外観から別名「烏城」と呼ばれる。築城当時の天守閣は1945年の空襲で焼失したが、その後再建されている。

岡山城の場所・アクセス

アクセス

・岡山駅から路面電車東山行き約5分「城下」下車、徒歩10分

・岡山駅から岡電高屋行き・東山経由西大寺行きバス「県庁前」下車、徒歩5分

料金 320円
営業時間 9:00~17:30(入場は17:00まで)
休業日 12月29日~31日

スタンプ設置場所

岡山城天守閣入口

※2020年9月現在

岡山城訪問記

岡山城が9時から営業開始するのに、岡山駅に8時頃についてしまったため、急いでもしょうがないと考え、とりあえず歩いて岡山城方面へ。歩いていく場合は岡山駅からまっすぐなので、特に迷うことはないと思います。徒歩での所要時間は20分ほど。

路面電車の駅である城下駅近くの地下広場で時間をつぶし、9時少し前に岡山城へ向かいます。

10分もかからず天守の黒い姿が見えてきました!

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廊下門をくぐり進んで行きます。

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天守にたどり着くまでには、運よく空襲を逃れた現存の月見櫓もあります。

1615~1632年の間に作られたものとのことです。

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さらに進むと不明門が見えてきます。

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そして不明門をくぐると、天守正面に出ます。

復元なのであまり期待してなかったですが、外観は素晴らしいですね。

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中に入ってみます。

100名城スタンプは入口入ってすぐ左側にありました。

天守内では備前焼の制作体験などもできるとのこと。誰かやるんか?って感じだし、天守の中じゃなくてもいい気がするんだけど。。(海外の方とかかな?)

その他は、ほかの城でもよくある歴史や文化とかの展示がされてます。

また、歴史学者で岡山市出身の磯田道史さんが解説してる動画が意外と面白くて見てしまいました。

上の階からは金の鯱が近くから見れました。まさにゴールド。

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天守をあとにし、周りも少しみてみます。

石垣と狭間がいい感じ。

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天守のすぐ下からも見てみる。こっちからの眺めもいいですね。

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最後は遠目から。

左の森は後楽園。旭川をはさんで天守と月見櫓がちゃんと見えます。

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見る前はあまり期待していなかった岡山城。

でも再建とは言え黒い天守は思いのほか迫力がありました。

現存の月見櫓もかわいらしく残っててよかったですし。

(ちなみに帰りは路面電車で岡山駅まで帰りました。城下駅から100円。)

【旅】鳥取城/渇え殺しの舞台となった城。天球丸やスタンプ設置場所。

鳥取城に行って来ましたので、行き方や見どころ、スタンプ設置場所など紹介していきます。

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鳥取城の歴史

江戸時代中頃、但馬山名氏によって築城された(可能性が高い)。

分かっているだけで、山中鹿介に2度、吉川元春に2度、羽柴秀吉に2度と合計6度の落城や力攻めによる落城があった。

特に羽柴秀吉による兵糧攻めは凄惨をきわめ、米を高値で買い占めたり毛利勢による搬入を阻止したりする一方、1,400の兵がこもる城に周囲の農民ら2,000人以上を追いやることで、瞬く間に飢餓に陥らせた。

城内の家畜・植物は食いつくされ、4週間もたつと飢餓者が続出、人肉を食うものさえ出たとされている。

この凄惨たる状況に城主吉川経家は自決と引き換えに開城した。

鳥取城は、廃城令で存城とされたものの、鳥取県が島根県に編入され県庁所在地(松江)以外に城は必要なしとの観点から、一部を残して解体された。

2006年から30年かけて、幕末期への姿へ復元する計画が進行している。

鳥取城の場所・アクセス

アクセス

鳥取駅から100円循環バスくる梨「緑コース」で7分、

「仁風閣・県立博物館」下車すぐ

料金 -
営業時間 -
休業日 なし

スタンプ設置場所

鳥取城跡内「仁風閣」

開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)

※2020年9月現在

鳥取城訪問記

鳥取城から100円で乗れる循環バスくる梨の緑に乗ります。

くる梨の運行間隔は20分。結構頻繁です。(参考:鳥取市HPくる梨時刻表

「仁風閣・県立博物館」バス停を降りればすぐです。

城跡内に入るとすぐ西洋風の建物が見えてきます。

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これが仁風閣です。

100名城のスタンプはこの中にあります。

ちなみに仁風閣に入るには観覧料が必要ですが、100名城スタンプだけ押させてもらうのであれば、観覧料は不要でした。(仁風閣の受付の人によるかもしれませんが。)

 

城の中に入っていきます。

すぐに中仕切門が見えてきます。

廃城令で解体されずに残っていたものの、1975年の台風で壊れてしまい、復元されています。

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ここを上っていくと二の丸が見えてきます。

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天球丸を目指して進みます。

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表御門跡と書かれています。こちらが大手門だったようですね。

さらに進んでいくと、、見えてきました。

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天球丸です。

名前の由来はこれが丸いからではなく、城主池田長吉の姉で若桜鬼ヶ城城主山崎家盛の夫人だった天球院が山崎家を去った後に居住していたことにちなみます。

江戸時代後期に石垣のたわみを防ぐために、球面を持つ巻石垣によって石垣下部が補強され、このような形になっています。このような巻石垣は港や河川の工事に用いられるのが主で、城郭の補強に用いられるのはきわめて珍しいとのことです。

天球丸は上からも見れます。

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本丸はこの上にあるということでしたが、今回はちょっとやめておきました。。

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石垣が素晴らしいです。これ↓は天球丸のちょうど裏側です。

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城内はこれくらいにして、城の外から眺めてみます。

堀には水が満々とたたえられてます。

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少し行くと吉川経家の像がありました。

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吉川経家が責任を取って自害しようとした際、秀吉は経家の奮戦をたたえ自害させないように取り計らったものの、経家はそれを拒否しました。

自害後、経家の首は秀吉のもとに送られましたが、それを見て秀吉は男泣きしたとも言われています。

それほど勇猛で責任感のある武将だったということでしょう。

 

 

という訳で鳥取城でした。

男気ある吉川経家が城主として入った城を見れたことは何よりでした。

石垣が見事でしたし、城としては珍しい巻石垣の天球丸を見られてよかったです。

【旅】諏訪大社へ電車・徒歩で行く/駅から徒歩での行き方・時間や御朱印も

新田次郎の『武田信玄』を読んでいたら、そこに出てくる諏訪大社に行ってみたくなったのでちょっと足をのばして行ってみました。

ちなみに、電車と徒歩だけで行ってきました。

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諏訪大社とは

諏訪大社のHPから諏訪大社についての説明を引用します。

 諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。

信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされております。

諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。

諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。

古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。

諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御明神は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。

そうなんです。諏訪大社と一言にいっても実は4か所にあるんですよ、諏訪大社って。上社本宮上社前宮下社春宮下社秋宮の4つです。

行こうと思って調べてみるまでわたしは全然知りませんでした。。

それぞれの場所は以下の通り(オレンジ色のピンのとこです)。

意外と上社と下社の位置が離れてるんですよ。

車ならスイっと行けちゃう距離でしょうが、電車だと駅2つ分です。かなり面倒。。

とはいえ特に上社・下社で回るべき順番もないということですので、下社春宮 → 下社秋宮 → 上社前宮 → 上社本宮の順に4社すべて回ってきました!

以下詳細!

下社春宮

最初は下社春宮。

ルートはこんな感じで行きます。

下諏訪駅に8:30頃到着し、歩いて向かいます。

比較的大きめの道に沿って行けばよいので特に迷うこともありません。

だいたい20分ほどで下社春宮の入り口に到着。

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朝の9時頃ですが、お参りする人の姿もちらほら見受けられます。

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御朱印もいただきました。(御朱印の写真は下社春宮・秋宮合わせて下の方で載せます)

下社秋宮

続いては下社秋宮。

春宮から歩いていきます。ルートは以下の通り。

基本的には最初に曲がる箇所さえ間違えなければ、あとはまっすぐ歩いていくだけです。普通に歩けば20分かからないと思います。

 

ただ、わたしは途中道をそれて慈雲寺にもちょっと立ち寄ってみました。

参道やお庭がとても素敵に手入れされていました。

苔の生え具合が絶妙でいいでしょ、これ。

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お庭もこんな感じで美しかったです。

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慈雲寺さん、御朱印はコロナの影響でやってないとのことでした。残念。。

 

そんなこんなで途中寄り道もしつつ、下社秋宮の入口に到着。

巫女さんが落ち葉の掃除をしていたりしてました。(写真中央にチロっと映ってます)

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でかいしめ縄(?)は迫力があります。

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秋宮でも御朱印いただきました。

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ちょっと寄り道

立石公園

諏訪大社以外にもちょっと寄り道してみました。

まずは立石公園。

映画「君の名は。」で聖地となった場所です。諏訪湖が一望できます。

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この日は雲が多くて、もう少し晴れてたらよかったなぁと。

ここに来るまでの上諏訪駅から道のりは結構日差しがあったんですけど。。

上諏訪駅からの徒歩のルートはこんな感じ。

上諏訪駅からは徒歩だと結構かかります。30分くらい。しかも上り。しんどいです。

しかも道なき道というか、人の家の玄関につながる道じゃない?みたいなところを入っていったり、ちょっとわかりにくかったりします。(くねくねした車道をショートカットして上っていく感じ。)

上っていく途中のアスファルトに書かれた「おつかれ」にちょっと癒されます♡

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とは言え、立石公園から見る諏訪湖の眺望は素晴らしく、次回来るときは夕暮れ時に来たい光景でした。

高島城

高島城も立石公園と同じく上諏訪駅から行きました。(立石公園とは駅を挟んで真反対の方向にあります。)

特に比較的大きめの道路を通るので、ルート的には迷うようなものではないです。

上諏訪駅からは15分くらい。

なんだか戦でも起こりそうな雲してます。

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ちなみにこの高島城は武田家が滅亡した後に建てられたものですので新田次郎の『武田信玄』には出てきません。(旧高島城としてすぐ近くの違う場所(立石公園の近く)にあった高島城は出てきます。)

上社前宮

本来の目的である諏訪大社へ戻ります。お次は上社前宮です。

ルートはこんな感じです。GoogleMapだと微妙に道がつながってない箇所があるので見やすく表現できなかったのですが、実際にはつながっています。(マップ上の川の近くのAとBの箇所です)

茅野駅降りてすぐの観光案内所で上社前宮・本宮への行き方が載っている地図が置いてありますので、実際にはその地図の通りに進めば多少曲がる箇所を気を付ける必要はあるものの、迷うことなくいけました。(その地図での行き方を上記GoogleMapでは表現しています。)かなりわかりやすい地図でしたので、徒歩の場合はぜひ入手してから行かれるのがよいと思います。

時間的には30分程度歩きます。疲れます。。

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鳥居が木で隠れてしまっていますが、上社前宮に到着。

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御朱印もいただきましたので、後ほど本宮と一緒に載せます。

上社本宮

前宮から本宮への行き方はこんなルート。

こっちは茅野駅~前宮よりはシンプルな経路なので、そんなに迷うこともないかと思います。

ただ、こちらも時間としては30分ほど歩きます。。

茅野駅からは約1時間。直接駅から本宮に来ればもう少し短縮できるとは思いますが、徒歩はまったくおすすめしません(笑)

あとで調べて分かったんですが、上諏訪駅から上社本宮までは1時間に1~3本ほどバスが出てたりします。(いや前もって調べておけよっていう。。)

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こっちの大きい鳥居の方が本来の正面の入り口かな。

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御朱印もしっかりいただきました。

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帰りは来た道をしっかり歩いて茅野駅まで帰りました。

おわりに

今回の旅で学んだ点としては、下調べをしっかりせずに行くと、ものすごく大変なこともある、ということが分かったということでしょう(笑)

何せこの日1日で5時間くらい歩いてました。

ホントは茅野駅から行ける上原城とかも行ってみたかったんですが、体力的にもはや限界でした。。

でも、武田信玄や諏訪御料人が諏訪大社にお参りしてたことを思うと、歴史のロマンみたいなものを感じます。武田信玄と同じ場所に立っているかもしれない、なんて。諏訪大社のすがすがしい空気の中でそんなことをなんとなく感じた旅でした。