今回は千葉の本佐倉城。
アクセスや続100名城スタンプ設置場所について書いていきます。
本佐倉城の歴史
文明年間に千葉輔胤が下総国を平定した際に新たな本拠として本佐倉城を築城した。
その後9代にわたって千葉氏の本拠地であったが、小田原征伐後の天正18年(1590年)に千葉氏が改易されると、徳川氏に接収、いったんは破却された。
その後慶長15年(1610年)に軍事上の必要から小笠原吉次、土井利勝が本佐倉城に再び入り、佐倉藩の藩庁が置かれた。
元和元年(1615年)、藩庁が佐倉城に移されたことと一国一城制により本佐倉城は廃城となった。
土塁や空堀などの遺構はほぼ完全な形で残されている。
本佐倉城の場所・アクセス
アクセス |
大佐倉駅から徒歩約10分 |
料金 | - |
営業時間 | - |
休業日 | - |
スタンプ設置場所 |
・京成大佐倉駅(改札外) ・酒々井町中央公民館 |
※2020年11月現在。
本佐倉城訪問記
今回は京成線の大佐倉駅から本佐倉城へ行きました。
別ルートとしては、JR酒々井駅からくることもできます。ただし徒歩30分くらいはかかりそうです。また、スタンプを酒々井町中央公民館で押すことにする場合は、さらに10分くらいは追加でかかると思われます。
京成大佐倉からの場合、スタンプは駅にありますので、途中寄り道は不要です。
ただしスタンプがめっちゃ薄いです。別の紙にいったん押してどのくらい写るか試した方がよいです。私は力いっぱい押しても薄かったです。。
大佐倉駅から本佐倉城までは特に迷うような複雑な要素もありません。
駅前には城までのこんな感じで地図もあります。
また道中には以下のように道案内の看板もありますので、簡単に行けてしまいます。
駅から10分ほどで東光寺ビョウに到着します。
この先に東山虎口と南奥虎口があります。
ちなみに南奥虎口の方は木が生い茂っていて、そこから入れるなんて思いもしないような感じでした。(帰りはぐるっと回って南奥虎口からでてきたので、実際には入ることができます。)
なお、この時点では持っていませんでしたが、駐車場においてあるパンフレットに記載されているルートで巡りました。
パンフレットのルートはこんな感じで非常にわかりやすくて、本佐倉城をめぐるには必携です。大佐倉駅から向かう方はまずはこのパンフレットを入手すべく駐車場を目指すのがよいと思います。(駐車場は地図の東山馬場にあります。)
東光寺ビョウを右手に見ながら進んでいくと東山虎口が見えてきます。
パンフレットや案内板には門があったであろう場所の記載があり、当時はそうだったのか~と思いを馳せながらめぐります。
東山虎口を抜けると、矢を防ぐための矢盾がならべられた場所に出ます。
矢盾には千葉氏の家紋である月星紋が描かれています。
さらに奥に進むとⅣ郭虎口(よんかくこぐち)に出ます。
一見何もないようなところですが、ここにも塀跡や門跡が見つかっているとのこと。
続いて大堀切。
城山と奥ノ山を分ける堀切で高低差は6mもあるとのこと。
スロープを登り切ったところに門跡があり、塀もあったと考えられています。
大堀切の左側が城山、右側が奥ノ山です。
今度は城山の方へ向かいます。
城山通路を通っていきます。
城山通路は城山への唯一の通り道で当時は砂で舗装されていたようです。
けっこう勾配が急で蛇行しているので登りづらいです。
城山通路を抜けると城山虎口に突き当たります。
ここにも門跡があり、城山に入るための出入り口となっていました。
城山には、主殿や茶室、櫓などがあったと考えられています。
引き返して奥ノ山の方に行ってみます。
奥ノ山には発掘調査で妙見宮の跡と思われるものが見つかっており、ここで元服したようです。
奥ノ山の奥には倉跡も見つかっています。
炭化した米が見つかったため、倉が立っていたと考えられています。
ここでいったん城をおります。
結構な急斜面に階段が設置されています。
さらに進むと、妙見神社があります。
遠目から鳥居と柿の実を一緒に写真に収めてみました。
妙見様は千葉氏の守護神とのことです。
ちょっと城の外側から城を見てみます。
こちらが城の全体像。
右側が城山、真ん中あたりが奥ノ山で、左側はセッテイ山です。
(左の方に妙見神社の鳥居が小さく見えますが、そこから城を出てきました。)
さて城の方に戻ります。
時計回りに回って城に入り、南奥虎口をでて東光寺ビョウに向かいます。
右側がセッテイ山。
竹が倒れていてかなり通りづらいです。
倒竹を抜けるとセッテイ空堀があります。
写真だとわかりづらいですが、本佐倉城で最も大規模な空堀で、高低差はなんと16mもあるとのことです。
どんどん進むとセッテイ虎口に出ます。
セッテイ虎口を抜けると、倒木や草、落葉に覆われて道がかなり分かりづらい。。
私の前を行っていた人は、道がないと思ったのか引き返してきていきました。
そんな中を草をかき分け進むと、竹林の小径(こみち)に出ました。
ここは多少開けています。
ここに生えている金明竹は、節と節の間に緑と薄い黄色が縞模様のように表れた竹で、この辺りだけに群生しているとのことです。
道なき道を進むと、やっと出ました南奥虎口。
(写真ブレブレすみません。。)
南奥虎口には木戸跡や通路跡が見つかっており、城の玄関口になっていました。
奥に見えるのが東光寺ビョウです。
ぐるっと一周してきました。とはいえそんなに時間がかかった訳でもなく、1時間くらい。
ちなみに南奥虎口を東光寺ビョウからみるとこんな感じ(下)
どこに出入り口があるのか、さっぱりわかりません。
(実際には写真右奥、ちょっと奥まったところから出てきました。)
まったく期待せずにふらっと行った城だったんですが、かなりいいお城でした。
パンフレットや案内板も充実していて、ここに門があったのかとか、ここを城主が歩いていたのか、など想像力をかきたてられるお城でした。天守はなくとも大満足のお城です。