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Netflix『アンオーソドックス』超正統派ユダヤ教徒女性の逆境からの解放の物語【海外ドラマ】

ニューヨークのウイリアムズバーグには、男性は上下黒いスーツで豊かなひげを生やし、特徴的なもみあげという姿で、女性は結婚すると髪を剃った頭にかつらをつけて黒いスカートをはいた姿で生活する人々がいます。

超正統派ユダヤ教徒です。

今回はそんな超正統派ユダヤ教徒の女性の、逆境への抵抗と解放の物語『アンオーソドックス』を紹介します。

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超絶厳しい超正統派ユダヤ教の戒律

超正統派ユダヤ教ではユダヤ教の教義を厳格に守る必要があり、伝統的な習慣や儀式に従わなければならなりません。

超正統派ユダヤ教徒が普段の生活で守っている伝統的な習慣を一部挙げてみます。 

  • ユダヤ教の教義が最優先(→教義・信仰が第一のため、働いていない人も多い)
  • イディッシュ語を話す(ドイツ語に似た言語。8割ほどがドイツ語と共通)
  • テレビやインターネットは禁止
  • 立場は男性の方が女性よりも上
  • 恋愛結婚は認められず、お見合いで結婚する
  • 避妊は禁止(→そのため夫婦一組につき平均6人のこどもがいる)
  • 生理中は女性は穢れているとみなされ、夫婦が互いに触れ合うことを禁止される(また、生理後1週間ほど清めの儀式があるので、その間の触れ合いも禁止)

 

身だしなみについては、男女それぞれで特徴的な決まりがあるようです。

男性は黒い帽子・衣服を身につけ、一番の特徴は伸ばしてカールさせたもみあげです。ドラマの中にも出てきますが、もみあげにカーラーを付けてカールさせています。彼らは教義に真摯に従っているのですが、なんともほほえましい感じです。

 

一方で女性は、一様に黒いスカートをはいています。また髪を剃り、かつらやスカーフで地毛を隠しています。女性の髪は魅力の象徴のため、それで男を惑わせてはならないという理由からということです。

『アンオーソドックス』はどんな物語?

ベストセラーとなったデボラ・フェルドマンの自叙伝「Unorthodox」からインスパイアされて作成されたのがこのNetflix『アンオーソドックス』です。

 

超正統派ユダヤ教徒の社会で生まれ育った主人公エスティは、超正統派ユダヤ教徒の普通の女性と同じように18歳のとき、お見合いで結婚します

それまでも超正統派ユダヤ教徒の閉じた世界に疑問を持っていたエスティは、禁止されているピアノをこっそり習ったり、おばあちゃんとこっそり歌を歌ったりしていました。初めて結婚相手であるヤンキーに会った際にも「私はほかの女の子とは違う」とはっきり言っています。

そんなエスティも結婚は新たな人生の始まりと信じ、結婚式では幸せに包まれていました。これまでの息苦しさから解放される、そんな気持ちだったはずです。

 

しかし結婚生活は結局むなしいものでした。

ユダヤ教の教義に従うのは義務とされ、みんなが心配しているのは子孫のことだけ。

結婚して10か月後には子供が生まれるのが普通とされる超正統派ユダヤ教徒において、なかなか子供ができないエスティは、夫や義母からの嫌味、ご近所さんからの無言のプレッシャーにだんだんと精神的に追い込まれていきます。

1年間耐えた結婚生活ののち、新たな人生と自由を求め、同じく超正統派ユダヤ教から抜け出した母の暮らすドイツ・ベルリンに着の身着のままで逃亡します。

 

一方ではニューヨークからエスティを連れ戻そうと夫たちが追いかけていました。。 

自ら行動することで道はひらける

ベルリンに来たその日、エスティは偶然会った音楽学校の学生がコーヒーを運ぶのを手伝います。その後の成り行きで聞いた学生たちが弾く三重奏の美しさに涙を流して感動します。また彼らと湖に行き、水着ではしゃぎ泳ぐ男女を目にします。

三重奏も湖で遊ぶこともエスティにとっては初めての出来事で、今までいかに自分が狭く閉ざされた世界で過ごしてきたのかを痛感したのでしょう。

湖に入ったエスティは、以前の生活には戻らないことを決意し、これまで偽りの自分の象徴であったかつらを湖に捨てます。

その後、ニューヨークにいたときもピアノを習うなど、もともと音楽に興味のあったエスティはベルリンで暮らしていくため、音楽学校の特待生となるべくオーディションを受けることにします。

 

エスティが逆境から自らを解放しようとするストーリーは、いま逆境の中にいて様々なことで苦しんでいる人に当てはまります。

エスティはニューヨークに残っていたら、自分自身を押し殺して生きていく必要があったでしょう。そんなエスティは着のみ着のままで、母親という一縷の望みだけでベルリンへ逃亡するというリスクを冒しました。

自分を貫くためにはリスクを冒すことも必要となります。

リスクなしには自分自身を貫き通すことは難しい場面もあります。

ドラマの中でエスティはユダヤ教の聖典の一つであるタルムードから引用します。

やるのは私、今やるしかない。

彼女の覚悟が感じられる言葉です。

もしいま苦境にたっているのであれば、このドラマを見ることで一歩踏み出す勇気をもらえるようなドラマでした。

おわりに

オーディションでエスティが披露するシーンも素晴らしく、鳥肌が立ちました。

エスティは出自を自ら全否定するのではなく、出自自体も自分の一部として、それも含めて音楽として表現していたようにわたしには思えました。

 

ちなみにこのドラマ名「アンオーソドックス」とはどんな意味を持つのでしょうか。

単純に "unorthodox" で英和辞書を引くと以下のような意味が出てきます。

主な意味:正統でない、異端の

「正統な」という意味の「オーソドックス」の前に否定をあらわす接頭辞「アン」がついているので「正統でない」や「異端の」という意味になります。

ちなみに超正統派ユダヤ教は英語で「ウルトラオーソドックス」です。

そんな超正統派ユダヤ教からの解放、という意味で「アンオーソドックス」とつけられたのでしょう。